マニフェスト 西原しげき紹介 8つの約束 一言コラム かわら版 レポート メールマガジン

 

自民党青年局・青年部インド視察研修旅行記1
(1997・11・23〜27)
県議会議員 西原しげき
11月23日:インドへ出発
アジア諸国を旅すると特有な匂いがする。
好きな人、気になる人様々だが、わが自民党青年部はこの匂いをここ数年、追い求め、今日9時間のフライトを経てこのニューデリーに到着した。
どんな旅でも団体で行動すると様々エピソードが残る。
一昨年は、パスポートをベトナムで盗られたりさんざんだった。
今年はなにもないことを願い掛川駅から6時35分の新幹線こだまに乗車した。
途中メンバーを加えながら予定通りに成田到着。
しかし、災難は一瞬のうちに私たちを襲う。
十一時二十分発JALが機材の故障で十五時三十分に変更とのこと。
五時間近く遅れるということは、もちろん到着時間が真夜中にずれ込む。
明日は五時の列車で移動だからかなり厳しいことになる。
「誰だ、疫病神は」
この先が少し不安になる。
まあ旅と言うのはこんなものだと思っている私だが、さすが東急さん。
30分遅れで出発するAIR INDIAのデリー経由ムンバイ(ボンベイ)行きの座席を急きょ押さえてしまった。
成田で5時間どうしてすごそうかと思っていたわたしたちにとっては、「へー、そんなことができるの」と感心。
「インドへいくにはJALしかない。」と意気込んでいたメンバーも「AIR INDIAでも何でも早く着くなら落ちてもいい。」とわけの解らないことをいって喜んでいる。
この選択が間違っていないことを祈りつつ私たちは機上の人となった。
JALの機内食が地中海風料理に対して、AIR INDIAのわけの解らないカレー風味の料理には少しがっかりした方もいただろうが、飛行についてはかなり快適に旅はできた。
インディラ・ガンジー国際空港は夕暮れだった。
空港からホテルにはバスで20分かかる。
待ち受けていたバスは、私の田舎で確か高校のころ走っていたようなまさに骨董品的バス。
サスペンションなど無いのか、まったくみんなが乗り込むときぴくりとも揺れない。
その際、首にかけてくれた花の首飾りがやけに生っぽくて気持ちが悪い。
私はすぐ外したが、ホテルでの食事のときまで楽しそうにかけていた方もいたから、すでにインドになじむ人とそうでない人の区別ができてきたのか。
空港からホテルまでは、日曜日ということで、市内のホテルに向かう道路は比較的すいていた。
これから4日間案内をしてくれるアシュラさんが片言の日本語で、簡単な説明を行ってくれる。
それにしてもこのバスは、クッションが悪い。
私たちが今日泊まるタージパレスホテルは大変いいホテルだ。
庭が中央に配置され私たちは周辺でガーデンバーベキューを行う。
「インドへきた!」と思わせてくれる料理が好きなだけとれるが、あまり食は進まない。少し、みんな疲れがたまってきたようで、明日のハード工程に合わせるように各部屋に帰っていった。
今日は、夜の心配をしなくていいようだ。

インドの列車(さあ出発)
11月24日:ジャイプールへ
出発は、早朝六時十分の列車シャタブディー号に乗る。
インドは暖かいと思って、部屋を半袖ででたら、外の冷気はやけに冷たい。
回りのインド人は皆長袖にジャケットまで身につけている。
しかしバスに乗り込むと、昨日と同じバスだが、「カ」がたむろしている。
旅行社の携帯品メモのなかに、防虫、虫刺され薬とあった意味が解った。
喧騒とした、始動しかかった駅で列車に乗り込んだ。
ここでちょっとしたアクシデント。
ポーターが運ぶ私たちのバッグが乗せられないまま、列車は出発しようとホームを離れてしまった。
どうしたかと言うと、ガイドのアシュラさんが、非常停止のレバーを引っ張って列車を止め、関係者に「ワイロ」を払って事なきを得た。
アシュラさんいわく
「インドではできることはできない、できないことはできる。ちょっとお金があればワイロでできる」とのこと、かの国ではかの国のルールでいきましょう。

ガイドのアシュラさん(中央)
列車は、朝焼けの弱い日差しにぼんやりと映し出される、バラックの家々を縫いながらゆっくり進む。
いやに長く伸びる、家々や木々の陰が印象的だ。
果てしなく続く農園地帯を走っているときも、車窓から見える少し霞にかすむセピア色の景色には、それがいっそう、寂しさと貧しさを感じさせる。
ホテルの朝食ができなかった変わりに、車内で朝食がでる。
さすが紅茶の国だけあって紅茶はうまい。
五時間近くの列車の旅は、昨日からの睡眠不足を補うにはもってこいと言うことで、誰もうとうとしている。
駅に近づくと、そこには、レンガの壁と、人と、水たまりと、豚や猪や、ヒンズー経の象徴である牛が、あえて言えばごみまで含めてすべて、見ごとに共存しているのを確認できる。
この光景は後のすべてで嫌と言うほど見ることになるのだが。
果てしなく広がる畑地帯には、豊かに延びる菜の花畑や、収穫期に入っている豆畑が延々と続く。
時折、作業をしている女性のサリーが、赤や、オレンジや緑や、黄色と大変艶やかで単調な風景に色を添えて楽しませてくれる。
ジャイプールに近づくと今までの単調な景色から一変して、少し黄色みがかかった石灰岩のような岩肌が車窓に表れてくる。
どこか、以前いったことのあるギリシャの光景とにている。
私たちは、ピンクシティーと呼ばれる古都ジャイプールの街についた。
今日は観光が中心。
アルトに似たマルチスズキが軽快に走るジャイプールの街。
アンベール城、日時計、シティーパレス(王様の住まい)を見て回り、最後に海外旅行でのお決まりコースショッピングを2カ所回り、感動よりも大いなるインド風の疲れを感じ、宿泊先である、風の宮殿の前にある、トライデントホテルに到着した。

どこへ行ってもアルトが走る

ジャイプール市内
インド風の疲れとは、自分の中にある良心みたいなものを押し殺すこと。
いく先々で私たちがバスを下りるとストリートチルドレン、足がない人、手がない人、乳飲み子を抱えた母親等が、一斉に物ごいをしてくる。
同情して、お金や物をあげようとしたものなら、あっという間にもっと大勢に囲まれ身動きができなくなる。
無視して進むことが唯一の行動。
日頃いい子で過ごしているとこれはきつい。
ガイドのアシュラいわく。
「私は八年ガイドやっているが、あの乳飲み子を抱えた母親は、子どもを何回も変えている、乞食のプロね。自分の子どもは大学に通わせたり、里帰りには飛行機使っている乞食もいるね。」
結局乞食の世界も、成功するのとそうでないのといるみたいだ。

牛と人が混在
リサイクルの原点もここでは観察できる。
ピンクシティーのバザールにたくさんの商店が並んでいる。
野菜屑などのごみは、至る所にのそのそといる牛様や豚様が食べている。
それらの糞は、肥料や燃料として使われる。
タイヤはもう一度張りなおして使う。タイヤ屋さんがやけに多いのはそのため。
街の至る所に糞尿が漏れ、汚水があふれ、ガレキがそこかしこに散乱し、まったく清潔感はないが、無駄なものは捨てられていない。
すべてが共生していると言った感じだ。
牛が路上を闊歩し、人力車から馬車やらくだ車果ては本当だが象車(なんというのかわからないが)、そして2輪車、3輪車、トラック乗用車まで同じ道路を走っているこのインドに私たちは一体なにを学んだらいいのか。
アシュラさんいわく
「トラベルはトラブルね」
こうならないよう祈りながら、治安が悪いと注意されたトライデントホテルの、わが部屋の明かりを消して寝ることにする。
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