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全国高等学校PTA連合会全国大会  旭川大会基調講演
ファーム富田会長 富田忠雄さんの講演を聞いて
静岡県公立高等学校PTA連絡協議会会長  西原茂樹


大会スローガン
今年の全国大会は北海道旭川で開催された。
前日は札幌に静岡からのPTA総勢300人余が集合して、前夜祭が行われた。
「明日は早いのですすき野へ行って遅くならないように!」通じたかどうかとにかく会長としては全員が旭川でしっかり研修をしてほしいと願う。
翌日はバスに分散して旭川へ。
「第二東名は必要だが、やっぱり北海道に高速道路は要らないな!」と誰かが言ったが、確かに車がいない。すいすいと進むが、2時間を要して旭川に入る。
全国から約1万人がこの旭川に集結するが、会場は6000人くらいしか収容できない大雪アリーナ。3会場に分散しての大会だが会場はごった返している。

北海道は広い
遠山文部科学大臣は静岡出身なので親しみを感じる。
「家庭は人格形成の場です。温かさと厳しさで育成してください!今こそ家庭、地域、学校が連携するときです」
挨拶を終えると会場会場を後にしたが、よく来てくださいました。感謝!

午後からは基調講演。
基調講演の講師は地元中富良野町にお住まいのラベンダー栽培農家の富田さん。
題名は「ラベンダーとともに生きて」
会場に現れた富田さんは背筋がぴんとして、スポーツ選手みたいなかっこいい老人だ。
とても農家のお父さんとは見えない。
今まで、全国PTA連合会の大会は、梅原猛とか有名人が講演をした。北海道が講師料をけちったわけではないだろうが「ぜったい満足してもらえるはずだ!」と選んだ講師が花農場ファーム富田会長、富田忠雄氏だ。

彼は富良野でラベンダーを作っている。
昭和7年生まれというには若いしセンスもいい。
ラベンダーの魅力をスライドを交えて説明してくれる。いかに極寒の偏狭の地でラベンダーが育っているか。スライドからすばらしいラベンダーの魅力が伝わってくる。
最初にラベンダーとあったのは二十歳のころ。
ラベンダー畑でめぐり合ってくらくらっときたという。
作っていた人から「香水を作るんだ。フランスのね」これが魔法の言葉のように響いた。
「作りたい!」と思ったが親に反対された。
作りたいと念じて念じた。
数年して念願がかなった。
結婚を契機に親も了解してくれた。
仲間も増えて富良野はラベンダーの一大産地になった。
精製所が7ヶ所もあって、官民上げて生産拡大が奨励された。
しかし昭和40年代後半突如、フランスからの輸入規制緩和と合成香料の発展で「生産を止めてほしい」とメーカーから言ってきた。憤ったがどうしようもなかった。
仲間はやめた。
富田さんもやめるしかないと思ったが、最後の一人になるまで続けた。
ラベンダー畑はお金を生まなくなっていた。
しかしもうこれで終わりだと、ある春先5月ラベンダー畑にトラクターを入れた。
ラベンダーを土と一緒に鋤きこんでしまうためだ。
家族も全員が畑のそばに集まった。
「バリバリバリ!」とラベンダーが土に鋤きこまれていく。
奥さんは目に涙をたたえてしゃがみこんだ。
5メートルほど進んだ時
「ギャー!」と叫ぶ声が聞こえた。突然富田さんは運転しているトラクターを止めてエンジンを切った。ラベンダーの叫びが聞こえたという。
家族も「お父さん残してやろう、今年は生かしてやろうよ」
その年、富良野で唯一残っていた富田さんのラベンダー畑は夏花盛りになっていた。

ラベンダー
「俺の畑で何しているんだ!」
三脚を担いだカメラマンたちが何人もラベンダー畑にいた。
来年はつぶしてしまうという話に彼らが
「何とかして残してほしい!」
カメラマンたちがフランスに長くいたという女性を連れてきた。
「富田さんが生きていかなくてはいけない。ラベンダーを活用することです」
彼女は富田さんの母と「ラベンダーのにおい袋」を作った。
ほしい!と言ってカメラマンたちが言った。
ただでいいと言ったが、お金をたくさん払ってくれた。
しかし富田さんは金額を決めた。400円。
日本で最初に「におい袋」に値段がついた日だ。いまだにこの値段は変えていない。
富田さんは言う
「私はラベンダーを生かし続けるために、ラベンダーを活かす」
売るための商品を作るのではなくて、ラベンダーを活かすためにさまざまな試みをする。
「この花は香水を作る花」とのおもいから、仲間と1万円を出し合ってラベンダーの香水を委託で作って売った。
商品はフロム。当たった。
でもある女性から「これ東京製造と書いてある。富良野に来て買ったのに残念ね」
材料は富良野でも化粧品の製造工場は無理だった。
そんな時映画監督の熊井さんに言われた。
「東京の会社と交渉するより、フランスに行って作り方を学んでくればいい」
フランスへ行って資格もとった。
そこで知り合った日本人といっしょに一緒に香水や関連商品を作っている。
10種類の香水や100種類の製品がある。
「私は意味のあるものを作りたい」
「私にとってにおい袋を母と一緒に作ってくれた人は天使です。でもそれからいくら探しても二度とお会いすることはできませんでした。ラベンダーの花の精かもしれません。」
真剣に生きていれば、協力する人が現れるという彼の話は自信にあふれている。
現在ファーム冨田には、花人(彼は花を見にくる旅人をこう呼んでいる)が毎年100万人訪れる。花人に喜んでもらいたい。という一念で一生懸命花畑を作っている。
「力なくても思い続ける執念で人は助けてくれる」
ラベンダーの花言葉には
「優美、感謝、承認、繊細、気品、疑惑」などがあるという。それにしてもいろいろとあるものだ。
「私は感謝という花言葉が一番だと思っています」
ラベンダーを育てるということは、土との戦いでもあるという。
土が活かしてくれたラベンダー
土から生まれたラベンダー
人が助けてくれたラベンダー
だからこそこれからも人のためにという気持ちが常に起こってくるという。
花や土やものは何もいわない。
香りは目に見えない。
ラベンダーつくりは、見えないものに目を向ける。
ものをいわない花や土、香りに目を向ける。
これが今の日本にかけている。
もの言わぬ世界、人たちがたくさんいる。
いい香りであっても目に見えない。
これに目を向けていない。
心も見えない。
人はわかってもらえない。
何もいわない子供がいても、その心が空っぽではない。
教育の荒廃とか、心の荒廃とか言っているが、目に見えないものとか、感じないものに無関心であるからではないのか。

物質的な豊かさを求めるのは限界である。
置き忘れてきた心を取り返していくことに勤めなければいけない。
花や土のように物言わぬものに耳を澄ます!
そういったものを真剣に見つめていく。
一人一人の努力の後に「豊かであたたかい社会ができていく」

一気に話し終えると感謝の花束をもらってさっと会場を後にした。
残った会場には、かすかにらベンダーの香りが残ったような気がした。
一度ファーム富田を訪れてみたい。
http://www.farm-tomita.co.jp/
いくつかの感動を北の大地で味わって、迫り来る秋を全身に感じながら北海道を後にした。