マニフェスト 西原しげき紹介 8つの約束 一言コラム かわら版 レポート メールマガジン

 

台湾李登輝会見紀行の報告です。
2月5日
李登輝と会おう!
李登輝氏と会見!
中々こんな機会はない。
近くて遠い国台湾。台湾総統選挙が3月に行なわれる、その現状を見てみようと自民党有志で台湾へ来た。
 
 
台北へ
空港は比較的すいてる。
小雨に煙る高速道路を台北市内に向かう。
「冬一番寒くても9度くらいですが、今年は6度とか5度になりました。」
本当に寒さが珍しい。冷房が当たり前で、暖房はないと言うからやはり寒いんだろう。

台北市内は渋滞が続く。
台湾の人口は、2200万人。面積は九州と同じくらい。
そのうち台北には280万人が住む。特別政令区は台北(タイペイ)と隆雄(カオシュン)で、隆雄は180万人。
「2年前から台北が首都になりました!」
ガイドの林裡さんの話に一気に台湾の複雑な事情に関心が向かう。
今回の李登輝会談の本質的な話題なのだ。

李登輝前総統が国民党政権下で進めてきた民主化政策によって、中華民国憲法は6回改正されてきた。しかし依然中華民国憲法下に台湾があることには変わりない。
私たち日本人には信じられないことだが、2年前まで中華民国の憲法上の首都は中国国内であり、台北は臨時首都とでしかなかった。
4年前の総統選挙で勝利した民進党の陳水扁が進める台湾の独立自主憲法制定が、今回の総統選挙で最大争点となっている。
 
まずは台湾のことを知ろう
5日の午前中は、亜東関係協会の郭名山秘書長と1時間以上にわたって意見交換会を行なった。

亜東関係協会は、1972年に日本が中国と国交を回復したと同時に、つまり中華民国との正式な国交が断絶されたのを契機に、それ以前の中華民国大使館と領事館の役割を果す機関として設立された。
あらゆる面での日本と台湾の窓口である。
 
 
(台日交流の実態)
台湾と日本の貿易は、1972年の段階で30億米ドルだったが、2000年には551億米ドルとなった。正式な国交がないにもかかわらず大きく伸びている。
更に、人の行き来も大きい。
日本から台湾には、昨年こそSARSの影響で落ち込んだものの、前年では100万人に届く勢いだ。もちろん台湾から日本への観光客も90万人ある。
既に、東京・大阪・福岡・札幌・名古屋の定期便が毎日就航している。4月からは、広島と仙台にも定期便が就航する。
われわれが滞在したホテルでは、栃木県と東北3県(宮城、秋田、山形)が合同で官民の大型観光客誘致キャンペーンに来ていた。
四国や九州など、その他の地域ともチャーター便で結ばれている。
「私たちが目指すのは、日本との更なる交流の促進です。そのために台日文化芸術と台日科学技術の二つの委員会を作りました。」
そしてそれを推進する大きな力は、若い人の交流だと言う。
修学旅行に積極的な提案をしてきた。
値段は、タイなどへ行くのと変わらない。こちらは治安が良い。文化がバラエティーがあって何よりも同文同種舟?だと言う。
台南の一部の県では補助金を出して誘致を行なっている。

中国との交流は、政治的対決には対峙しているが経済分野では盛んだ。
世界が中国とのビジネスに台湾華僑を経由している。口コミやアンダーテーブルが重要な中国ビジネスにリスクを考えれば台湾は重要だ。
毎年350万人が中国へ入り、中国から50万人が入ってくる。もちろん公式な数字で、実際にはもっと大きな交流があるかもしれない。

(新幹線は日本製)
新幹線が台北と隆雄の間で来年の10月から開通する。
ドイツ・フランス方式で決まりかけていたものを李登輝前総統のつるの一声で日本の新幹線方式に変わった。
「1908年に後藤新平が鉄道をひいた。100年後に日本の技術で345キロの高速鉄道がひかれる。日本の皆さんにも大きな意味がある」1時間半で南北の大都市を結ぶ新幹線はTGVよりも早いのぞみ700系だ。
この新幹線は大きく台湾の地勢図を変える可能性がある。
台北〜隆雄両区間を結んでいた飛行機はなくなる。交通がかわり、地域が変わる。
この新幹線は、日本のように一極集中を加速させるだろう。

(台湾の政治情勢)
話しは、総選挙に。
国会議員の構成は与野党逆転だ。
2年前の総選挙で統一派(ブルー系)の国民党が68名、親民党(国民党から分離)が46人。過半数を占める。一方中国からの独立派(グリーン系)は民進党が87名、団結聯盟が12名となっている。
陳水扁は独立派だが、与野党逆転で苦しい国会運営を強いられている。
独立を目指す李登輝の応援は大きい。
李登輝は国民党政権で総統をやった。
選挙の洗礼も受けた。台湾の民主化政策を推進し飛躍的な経済成長をした時代のシンボル的リーダーだ。
かれは、「台湾」が「台湾」として生きる道を訴える。
それを今回直接聞くことが目的だ。

「台湾国民は70%以上が現状維持を望んでいます」
郭さんはどちらが勝っても対日政策は変わらないと指摘するが「中国の台湾政策には大変化があるのではないか?」との質問にこう答えた。

1996年に中国から3発のミサイルが台湾近海に打ち込まれた。
過激な政策は危機を招く。2300万人の命と財産がかかっている。チベットやモンゴルなど中国が抱える周辺地域の政策は戦争につながる恐れがあることを指摘する。

496発のミサイルが台湾に向けられている。
この危機は日本にとっても同じ重みを持つ。
台湾と中国の間の東シナ海を毎日400隻の船と300機の航空機が行き交う。生命線だ。
「中国が経済発展してから政治の民主化を求めて行く。」
郭さんは中国国内の格差が大きすぎることを危惧する。
広東省の工業都市と山間農村では34倍の所得格差があると言う。
「あのチェコスロバキアではチャウシェスクが倒れたとき17倍の格差があった。国民の所得経済的格差は国内問題を勃発させる可能性がある」と指摘する。

(再び台日友好)
「日本への観光客の4分の1は台湾人です。」という鄭さんに
「最近は名古屋から浜松へ来て資生堂へ寄って伊豆へ泊まって東京へ行く。静岡へ来る外人観光客の3分の一は台湾の方です」とメンバーから意見が出る。
郭秘書長は昭和51年から61年まで日本にいた。それだけに事日本に対する印象も良いし、期待も大きい。
先ほどの鉄道もそうだが、最北端の基隆(キールン)についても
「後藤新平が当時の台湾への投資が毎年500万円のころ、4千数百万円を投じて港の建設を行なった。最終的な投資額は8000万円以上になる。」
午後はそのキールン港の視察だ。

中国から台湾への輸入も300億米ドルと急拡張してきている。
香港経由だったが、2年前からは一部直接入ってくるようになった。第3通によって台湾の経済が成り立っていたが、今後はどの程度直接通商が進むのか。

話を聞いていて、この複雑さがあるから「台湾が台湾として生きていける」と感じた。中国の現体制があって、それと違う台湾があることが、世界と(あるいは日本と)台湾が特殊な経済体制を維持していける秘訣かもしれない。このことは、翌日の李登輝総統の会談ではっきりする。

1時間に範囲及ぶ会談の最後に歴史教育に話しが及ぶ。
「過ぎたことは過ぎたことです。愛を持って教育するのです。台日、台中の間で手をつないでがんばっていく!」
涙ぐんできそうだ。
グローバル社会に対応して小学校3年から英語教育を始める。
世論調査をすれば、台湾の人は日本が一番好きだ。
1993年からは5日間、2003年からは1月間、台湾へ日本人はノービザで来れる。
しかし、台湾人にはノービザが出ていない。
小泉さんは2010年には1000万人の観光客を呼ぶといっているが、こんなことでは実現できないのではないか。
韓国の学生(修学旅行)には3月1日からノービザを与えた。お金だけではなくてこのような心理面での対応は大きい。「是非働きかけてほしい」郭さんが訴える。

「私は中日人です!」
と言った郭さんの言葉をかみ締めながら協会を後にした。
 
 
キールン港の視察
キールン港港湾局で港の概要説明を伺いました。

1886年開港と言うから歴史は古い。台湾では、隆雄(カオシュン)に次ぐ港で 57バースある。
そのうち15バースがコンテナターミナルで、6万トンクラスの超パナマックス船も入港できる。


(視察船をバックにして)  


(船内での説明)


(小雨に煙るキールン港)

 

キールン市議会を訪問
キールン港の見学のあとキールン市議会を訪問する。
キールン市議会では張通栄議長の歓迎を受ける。
40万人の市ながら市議会の権威はすごいものがあります。
議員数は30数名。市議会として議会棟と執務棟を持っています。
議会の職員が80名ですから、力の程がわかります。


議場には大型スクリーンがある。議席には電話、インターネット端子もある。こどもの写真に思わず親近感がわいてくる。

一日目終了。

2月6日
いよいよ李登輝前総統と会える!
今日も朝から雨。
少し遅い出発で約束の10時を目指して淡水に向かう。
淡水は台北市内から30分ほどの郊外だ。
新しい港、台北港がある。そこに李登輝のオフィスがある。
30階建てのビルは周りにないのでひときわ目立っている。おきな賃貸オフィスだ。
会談室は前面が窓ガラスで目の前に観音山が見える。

(穏やかな感じだ)
程なく現れた李登輝は名簿を見ながら一人一人と握手して回る。
ソファーにどかっと腰掛けると
「さむいですね〜」
と始まってまず全メンバーに最近の著作本を配る。
「皆さんに私の本を差し上げます。群策会を作りました。その総まとめです」
「あさって新憲法に対する討論会をやります」
マイペースで話が進む。
「最後は皆さんから質問を受けます!」と言いながら結果として質問ができる時間がないほどに話しが伸びた。

(最近の著書から)
「皆さんは台湾がどこへ行くか?それを知りたいでしょう!」
うなずくメンバーの気持を察したかのように、一気にまくし立てていく。
全員に渡した書籍「二十一世紀 台湾の国家総目標」の序文を朗読する。
「二十一世紀、世界は新たな局面に入った。ようやく民主化を成功させた台湾は、民主、自由、人権などの普遍的価値を持って、国際社会で新たな地位を築くべく出発しなければならない。だが、台湾の民主政治はまだ始まったばかりであり、初の政権移行もまだ安定するには至っていない。更に、中国の有形無形の脅威にも直面している。国内では、人々の歴史に対する認識が混乱し、国家に対するアイデンティティーが欠如し、台湾を主体とした意識が完全に確立していない。このため台湾が歩む二十一世紀はまさに茨の道であり、大きな不確定さをはらんでいる」(序文転載)

彼は本文に修正を加えながら読んでいく。
「私は、国家の盛衰を決めるのは三つの要素だと何時も考えています。それは協力なリーダーがいること、明確な国家目標のあること、アイデンティティーの確立と団結です」
彼はこれらを実現するために群策会を作った。シンクタンクとドウータンクを合わせた組織だ。

国際化が進む中で、グローバリゼーションと言われて世界は一つになっていこうとしている。国の存在と抵触しない。今のグローバリゼーションはお金だけだという。
人はパスポートで国家に属している。

彼は台湾の歴史を説明する。
台湾の歴史は400年と言われているが、その前は高砂族など何万年も何千年もあった。
この人たちはマレー系だ。

400年前、つまり明から清に変わる時代に、一部オランダの植民地を経て中国本土から移り住んできた漢人によって台湾が形成されてきた。しかし、今まで、オランダの植民地、清の属国、日本の植民地、中華民国の統治と、一度として台湾の人は自分の政府を持ったことがなかった。
時の政府は台湾の国民のために貢献した事はなかった。

しかし、日本の植民地時代の50年は、植民地自体は良くないことだが、これがなかったら今の経済発展はなかった。
日本の時代に経済的に基盤を作ってくれた。
すばらしい50年間の日本統治だった、日本は台湾に貢献した。
「考えてみなさい。コリア、香港、シンガポール、台湾も含めて4つの国はこれら戦前の日本時代に基礎があった」
彼は「4つの国」として台湾の香港を同じに話した。

(台湾の問題)
「台湾の問題について話します。」
彼は一息ついて、言葉を選びながら4つのポイントを示した。
1、 台湾のアイデンティティー。これがはっきりしない。ややこしいのでこの確立。
2、 国家組織の正常化。
3、 台湾と中国の経済問題。
4、 台湾海峡の安全とアジア全体の平和。
(1、台湾のアイデンティティー)
終戦後蒋介石が台湾を軍事的に占領した。(1949年)
日本からの台湾の接収はポツダム宣言でもカイロ宣言でも文章として残っていない。
サンフランシスコ条約でも触れていない。
現状では、「日本が台湾を放棄」しかしていない。
台湾の地位は難しいという。

何をやったのか見れば分かる。
日本の台湾統治50年によって台湾の近代化が進んだ。
蒋介石は終戦後、日本化から非日本化にした。
終戦後20年から30年は日本語はもちろん、日本の映画や新聞もだめだった。
「私も日本語が下手になりました。」と李登輝が笑う。

「台湾の歴史教科書を作り直しています」
今までの教育がひどかったので人民がふらふらしている。特に40代から50代がひどくなっている。
「おまえはどこか?」と問われると「台湾人だ」と答える人の割合が、10代から20代では100%が「台湾人だ!」と答える。これが20代では90%、30代では80%、50代では40%で最低。この世代は「台湾人であり中国人」という人が多い。
60代から80代になるとまた「台湾人」が増えてくる。
何によってこうなるか。
教育である。
台湾のアイデンティティーは後10年20年すればよくなると言うが李登輝は20年待てないと言う。
「教育で人を変える!そのために李登輝学校を作りました」

この学校はもちろん私塾で正規な大学や専門学校ではない。
始まって2年が経つ。先生の再教育と大学生の教育に力を入れる。国の将来を担う領袖や青年の教育もやる。農業や経済の各分野の人材を集めて行なう。
ビルの29階にあってウイークエンドに開校する。
107時間の講義がある。そのうち国政国策に80時間以上を当てる。
平均年齢は30歳から40歳だが、年寄りの希望も多いので特別班を作っている(平均年齢68歳)
ここへのファラデーションは1億5000万円ある。
これで教科書を作ったり国際会議をやっている。
ここでは・台湾を正常化するには ・香港が中国に返還されて6年目になった。1国2制度の勉強会 ・中国と台湾が交流し始めて16年が立つ。その問題点は。
これらのことを研究している。

「毎日が争いで苦しかった!」
彼は台湾の総統としての時代を振り返って言った。
中国に飲みこまれても良いんだ!と言う人もいた。国が早く一つにまとまらなくてはと思った。足らない教育を実感した李登輝。
「精神的なものが足りない」これが何時も彼を突き動かしていた。
そのお手本は日本にあった。
彼は「人間としての基本的条件」という本を出した。本当は「武士道」だが、これは分かりにくいし、誤解を生む。

世界は今後どうなるか。
付き合いは「国に道徳があるかどうか」だと断言する。
他の国から信頼されるかどうかは、最後は信頼関係だ。
金融でも経済でも信頼関係が一番だという。
「国として一つの道徳体系を持つことです。そしてその国のお手本は日本しかいない」
しかし、今の日本にはアイデンティティーが足りないことをも指摘する。

日本の学生が言った。「国よりも個人が大切だ。」
しかし、いったん国外に出たらパスポートがあるから大事にされる。
個人は関係ない。日本の国の必要性は大きい。

昨年の9月6日正名運動の集会に18万人が集まった。
中華民国と言う国はない。存在していない。名前だけが残っているだけだ。

今月2月28日100万人集会をやる。「手と手をつなぐ」運動だ。
これによって、台湾の国家アイデンティティーが一歩進む気がする。
 
(2、国家組織の正常化)
中華民国憲法改正をしてきたが、まだ中華民国憲法は残る。
この憲法には中国大陸やモンゴルはあるが台湾はない。
ようやくパスポートに中華民国(台湾)とカッコ書き台湾がついた。
「国の名前を変えたらいい。政府を小さくする。台湾と言う国だけに。」
 
(3、台湾と中国の経済)
中国の歴史観、考え方について気をつける必要がある。
清朝時代は統制されてきた。
貢物を贈ったところは中国領土だと言う考えが中国にある。
台湾、尖閣列島、琉球や朝鮮半島も同じだ。
日本もさかのぼれば貢物を贈った過去があるので気をつけたほうが言い。
この中国の歴史観が、特に民主化されていない状況で危険だ。
アジアの将来にとって共通の課題だろう。
日本の歴史教育や首相の靖国神社参拝に難癖をつける中国の姿勢はこの歴史観からきている。唐の時代からある「司馬遷」の考え方は変わらない。

中国の現在は「安い労働力がある」それが唯一の魅力でしかない。
周辺の、コリア、台湾、香港、シンガポールは、日本の植民地政策のおかげで発展した。
中国経済が発展できたのは技術ではない。商売ができるからだ。金と技術は外国に仰いでいる。中国は「組織として仕事ができない」つまり協力して力を合わせて仕事を成し遂げると言うことができない。
技術はこれからも日本が一番すごいだろう。
しかし競争が激しすぎて、製品の規格がまちまちだから自ら厳しい状況に陥っている。
電子やレーザーもすごい。トヨタのハイブリッド、カシオの液晶・・・。
李登輝の口からは日本の技術を高く評価した話が続く。
時間は予定の1時間を越している。
端で控えていた秘書が席を立って心配しているが、最後の4番目の、そして私たちが最も興味を持っている話に入った。
 
(4、 台湾海峡の安全とアジア全体の平和)
「米中衝突はありません。ブッシュも中国同士は争わないと言っています」
李登輝はこの安全の話に入って冒頭でこういった。

中国の軍事力も経済も怖くない。恐れているのは日本だ。
9.11テロ以来のアメリカの対アフガニスタやイラクで、中国はアメリカが怖くなった。
中国は外国人を招待して接待する。
アメリカのクリントンは中国寄りになった。日本人の政治家も接待で中国寄りになる。
日本人的に中国を見てはだめだ。
中国は胡錦涛政権だが、不安定。
国の内政闘争が起きる可能性がある。江沢民がまだ健在なので政権抗争が続く。
「私だって中国の政争の中にあったので政権抗争は大変だった」
中国の政権抗争の尋常でない現実に目をやる必要がある。

しかし、中国は台湾を攻められない。
「海峡では戦争は起こらないです!」
語気を強めて言う。
独立と言うことではなくて、「名前だけを台湾と変えれば良いんです」
4つの問題にしっかりと取り組んでいけば、台湾は民主的な国として政調発展していける。
彼は自分の国の将来に確信を持つように語った。
 
(日本人へ)
「私の兄は靖国神社に祭られています」
そう言いながら日本人の歴史観について「日本はもう少し立ちなさい!歴史を守りなさい!間違いを起こしたかもしれません。ところがそれはその時の指導者が間違っていただけです。いつも頭を下げて、スミマセン、スミマセンでは情けない」
靖国参拝は当たり前だと強調しながら、日本人の自虐的な歴史認識に猛省を促した。
「台湾と日本の関係はもっとこれからよくなるでしょう。」
予定していた11時までがすでに30分ほど超過していた。
「2月28日の100万人集会(グリーン系)成功を祈ります」
李登輝はにこっと笑って「ありがとう」と応えた。
全員との記念撮影をして私たちを送り出してくれた。

近くて遠い国。
日本の統治下にあった国でありながら、日本に対する友好的な思いが強い国。
初めての台湾訪問は私にまた新しい歴史観を与えてくれそうだ。

帰りの台北空港で日本へ観光へ行くと言う台湾人の老紳士から声をかけられた。
「私とあなたは同じみどり、グリーンだね」
私のジャケットがグリーンで彼と同じだ。

グリーンはこの国では「独立派」だ。彼は陳水扁を応援していると言う。
4日間案内してくれた林さんは「今回は厳しいかもしれないけど私は民進党を推すわ!」
彼女も陳水扁支持だ。
ホテルでであった観光案内は「民進党は争いばかり好む。私は国民党支持だ」それぞれが国の将来を真剣に考えている。

結論は、3月20日の選挙で決まる。
選挙では、住民投票もあわせて行う。
住民投票の設問は2つで、投票箱は総統選のものと合わせ、計3種類設置される。
 住民投票では「中国が武力行使を放棄しなければ台湾はミサイル防衛力を増強する」「平和メカニズム構築に向け中台協議を開始する」ことへの賛否を問う。(これは10日に決まった)
すべての成り行きが日本の行方にも大きく関わってくる。
注意して見守りたい。

(李登輝と訪問団)
(2月11日建国の日に記す)