中国浙江省へ |
5月20日から24日までの日程で、上海経由杭州市への環境関係、特に水処理に関する調査交流を行いました。
私が団長で下が、残念なことに、20日に臨時議会があり、21日からの参加となりました。
以下現地レポートです。 |
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◆5月21日◆ |
一日遅れの団への合流だ。
議会日程で残念ながらそうなった。
考えてみる海外へ一人で出ることはない。
最低でもだれかもう一人はいた。 心配された台風2号もそれてくれた。
快晴の名古屋空港を離陸することができた。
上海の浦東空港には一昨年の11月、浙江省と静岡県の20周年記念式典へ副議長としてきて以来だ。
迎えに出てくれた籐さんに案内されて空港駐車場へ。
彼女との車中での話は多義にわたった。 驚いたのは賞味期限の話。
彼女に「賞味期限が切れた食品はどうする?」って聞いたら「棄てます」とのこと。
まあ予想されていたが、私が「私はもったいないから食べてみてから判断する」というと彼女はこう答えた。
「私のおばあさんの時代はそうだったし、今でも貧乏な人はそうするが、経済的に豊かになっているのでやはり棄てますね。でも確かに環境問題で行けばもったいないか?」
彼女はだんなさんと二人暮し。
2人とも車を持っているという。 もう一つ聞いてみた。
「子どもは?」
「もうちょっと先、だってやりたい仕事があるから」だという。
今日本語を教えていて、自分は英語を勉強していると言う。行きたい所はフランスだが、「英語は仕事に役立つから。」
「子どもはどちらが育てるの?」に
「仕事があるから、ベビーシッターか、親がいたら母親に来てもらって育ててもらう。」母親だったら「ご飯代だけで良い」という現代的な判断がある。
それにしても浙江省の若い世代がこんなにも豊かになっているとは驚きだ。
貧富の差が大きい。彼女は豊かであって、決して平均的ではない。ただ確実にこの世代が台頭していることは事実だろう。
浦東から3時間で杭州に到着した。
夜は、杭州樹林大学の日本語学科の先生や生徒さんと交流夕食会が開催された。 |
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二日目 西湖へ
朝から雨。
今日は西湖を視察する。
杭州市西湖水域管理所の徐さんに案内していただく。
いつのもの西湖と違う。
何か自然の湖沼といった感じの場所でバスを降りる。
木製のデッキでできた遊歩道が小奇麗に続いている。
メタセコイヤの高木が平面的な景観にインパクトを与えてくれる。 |
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この西湖を拡張し自然復元をしていくことは西に進むプロジェクトと言われています。
「2003年にはここに水はありませんでした」と徐さんが言う。
にわかに信じられないが、話を聞いていて納得する。 |
(徐さんはオーストリアで生態学を学ぶ) |
西湖には水源が4つあって3つが山の渓流、1つは銭塘江の水を浄化して入れている。
出口は7つある。それらと市内にはりめぐらされた運河が循環して西湖の浄化が進められてきた。しかし、更に浄化を進めるために新しい「西進プロジェクト」が始まったわけだ。
もともと湿地帯で、農民が田や畑を耕しながら生活していた。したがってそこから出る生活廃水などで西湖が汚染されつづけてきた。これを抜本的に解決しようというものだ。日本ならお得意の「農業集落下水道」が登場だが、ここは違った。 |
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(このすべての景観が1年で完成) |
まず汚染源をなくすことを考えた。中国ならではだが、農家の移転を行なった。これなら確実だ。そして次に、もともと昔は西湖の一部だったから戻した。つまり浚渫して水を引き入れた。自然の水が入ってくると、水生物の生態系が汚染の元の栄養分を採ってくれる。魚が住むと繁茂する藻を食べてくれる。生態系維持のために他の魚も入れてバランスもとる努力をしている。
たった数ヶ月でここまでになるのかとびっくりするが、移植されたのであろう水辺の植物がずっと昔からそこにあったと感じさせるぐらいなじんでいる。 |
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考えてみれば、浜名湖花博ならぬ「浙江省杭州ビオトープ博覧会」の会場に紛れ込んだと思えば分かりが早い。
それならば「HOW MACHI?」となる。
西湖の面積は5.68平方キロで、今回のプロジェクトで出来上がった湖が0.7平方キロ。水深が深いところで4.7m、平均で2.3mある。
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その小さな湖、1年で農家を移転させて、浚渫して、水を入れてビオトープ公園にするのに3億元だという。日本円で約42億円だ。
単純に比較すべきではないが、42億円で自然復元と癒しの公園ができればすばらしい。そして、観光資源として杭州経済に恩恵をもたらすはずだ。 |
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園内を散策しているととても落ち着く。
土曜日だと言うのに人が少ない。
「上海の人には癒しの場として人気があります。しかし杭州の人はもっとにぎやかでショッピングができることへ行きます」という答えだ。
公園なので、中国の女性の軽快な音楽がそこかしこのズピーカーから流れている。観光ムードは満点だが、メンバーからは「何で公園にこんな音楽をかけるんだ!」と徐さんに質問する。徐さんは「公園に音楽は当たり前です」とすげない。 |
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維持管理について伺う。
これがやはりポイントだ。
費用は、2.000万程度。
管理の指標は、見て透明かどうか、水質の結果はどうか、そして水生生物の状態はどうかの3つだと言う。日本と変わらない。 |
この計画の最初は1980年代で、当初はヨーロッパやアメリカの研究者が関わった。日本の琵琶湖の研究者も応援してくれた。当時は、汚れの進み方もひどくなったが、工業化の進展と共に急速に悪化してきたので、杭州市人民政府が乗り出してプロジェクトを進めた。「半年も経っていないんですよ!」その言葉が残る。
しかしこの期間で、飛来する鳥の数が10倍になったり、水生生物などもかなり増えたと言う。
やればできる。
佐鳴湖の浄化作戦を続けている静岡県だが、汚染は続いたまま。日本一の汚染湖の看板は当分返上できそうもない。できたら彼らに応援をしてもらったらと真剣に考えた。
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(古い湖畔の風景をオブジェで再現) |
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その後、 杭州市銭江新城へ
西湖の自然復元とは逆に大発展を図ろうとする杭州の姿を見て回る。
案内は、建設部の来さん。
銭塘江河畔に新しく作られている新都市のうち完成が近いオペラハウスを見学する。設計はカナダ人。斬新な設計だが、中国人好みのガラスばりで、やけにまぶしい。
1.600人が収容できる大ホールと400人の音楽ホールなどからなる。野外ステージも配されている。面積が、55.000。
10億元というから約140億円だ。
「グランシップと比べると安い!」メンバーから管理も含めて参考になると指摘。
完成は9月で、既に柿落としのテーマは決まっていると言う。今度は中に入って見てみたい。
管理運営などソフト面も含めて世界公募している。ドイツの企業(ひと)いっしょにやりたいとエントリーをしていると言う。
オペラハウスの規模に驚きながら、
まだ周りが草むらだらけの会場を後にした。 |
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(クーリングタワーの見学も) |
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来さんを建設部で下ろした際に全体
の都市計画があるから見てください と案内された。
会議室全体に大きな都市の模型がある。
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↑全体プロジェクト→
(オペラハウスはほんの一角) |
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オペラハウスを探す。あったが、全体から見るとほんの点みたいなものだ。
全体が大都市づくりが広がっている。
「8年プロジェクトですが、2年経ちました。後6年で完成させます!」
開いた口がふさがらないとはこのことだろう。
中国の「今」の力を見せ付けられた。日本の東京オリンピック、あの建設ラッシュの時と同じだろう。バブルの時期よりももっと前だ。それを13億人の中国がやっている。
この国は「作りつづけない」と国力と人民の欲望は維持できないと感じた。
夜は杭州市環境保護局の(リュウ)副局長など杭州市側の幹部の関連部所の幹部の皆さんの招待宴を受けた。
団長として食事をしながらの会話のために詳細の内容については、横でしっかりメモを取っていた小坂先生に期待したい。
副局長の意見は、どんどん提案をしてほしいこと、そしてそれが生かされた場合、その利益が共有されることが示された。汚染物質を大幅に減らしたイタリアの提案の例を出しながら具体的な共同にかける期待を語った。特に環境分野では、技術の支援はすでにヨーロッパが進んでいるし実績も増やしている。日本とは、相互交流をしたいと希望している。環境測定などの技術的なレベルは相当進んでいることを感じた。
最後に副局長の年を聞くと40歳という。
環境政策で議会からさまざまな質問や要望が来て大変だというが、杭州の環境プロジェクトをになっているという自負が感じられた。 |
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◆5月22日◆ |
烏鎮(ウーチン)へ。
視察は今日で終わり。
団としては、上海の水処理環境機器展や農村環境保全の視察をしているのだが、私はまだ二日目だ。
バスは朝の8時半出発比較的余裕がある。
出発前のちょっとの時間ホテルの裏側にある市場を見て回る。
あまりにも変貌する中で、魚がバケツや水槽でバシャバシャして、肉がたたき切られて、鶏がいて、汚い採ったばかりの卵が並び、罵声が飛び交う市場は逆にほっとする。中国へ来た!そんな気持ちにさせてくれる。
市内はヨーロッパと間違うくらいのきれいな町並みだ。(色合いをのぞいて)
高速道路に続く取り付け道路も、4車線で真ん中には広い中央分離帯がきれいに緑化されている。 |
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タバコを捨てる人がいなくなった。
ここ10年で、道路や町並みがきれいになったことで、タバコやごみを捨てたり痰を吐く人がなくなった。
環境が人の行動をかえる良い例だ。
大気も格段によくなったという。
イタリアの技術協力だが、スモッグに効果があったようだ。
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(杭州市内は車道もきれい) |
杭州から一時間少しで烏鎮につく。烏鎮は桐郷市に属する。
さしずめテーマパークの入り口といった感じだ。
烏鎮古鎮保護局旅遊便友管理委員会の張副主任が説明をしてくれる。
彼は同じく40歳だという。中国の現場世代は若い。 |
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(張副主任から話を伺う) |
ここ烏鎮は古くから水郷の町であった。
政府が1999年から保存と開発のために力を入れ始めた。2000年に一般開放を始めた。
したがって、まだ観光的には日が浅い。有名になったのは、上海のAPECで世界の要人が訪れて世界に紹介されてからだという。
「環境保護と開発が重要な課題です」と張副主任が言うようにむつかしい。
まず仕事で重要な一つ目は水問題だという。
第一期工事が終わったが、最初の工事を始める前に「下水道」を整備した。
生活習慣は「何でも川に捨てる!」だから、川が汚くなる。台所や生活廃水を川に入らないように下水道を作った。しかし造ったのは「下水道」だ。処理場ではないところが問題だ。直接ではないが、どこかでほとんどそのまま出ているということだ。
次にしたことは「汚染源を絶つこと」汚染企業の移転をした。
そして外の川から汚染した水が入ってこないようにした。
このような努力にもかかわらず依然として水郷の水は汚いという。
実際に見てみるとそんな感じはしない。
私の感覚からは「水郷の町」としては問題がないと思う。ベニスでもタイのバンコクでも倉敷や柳川でも、人が生活しているところは水が清らかではない。洗濯をしたりしている風景を見ると「もう少しきれいなほうが良いかな」とも思えないではないが。 |
大気の浄化にも力を入れている。
家並みが連なっている。練炭を使っていた台所を石油やプロパンに変えた。レストランの油煙も気になるようだ。
「台所の油煙?フィルターをつければ!」早速専門家のアドバイスが出る。 |
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(水辺ではいたるところで洗濯風景が見られる) |
次に環境緑化。
川の両側に木を植える作業を進めている。
実際に見て回ったが、まだ始まったばかりだ。 |
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最後に設備インフラ整備。
つまり、伝染の地中化や。消化システムなどである。
木でできたい絵が並んで続くので「火事」が心配だ。
至る所に消化栓、煙探知機、滅火器(消火器)がおかれている。
専門の消防隊も置いてある。日本では当たり前だが、このあたりに力を入れている。
「これからの課題はごみ収集処理です」
園内には至るところ「リサイクルボックス」が置かれている。
しかし、大量に出る食料残飯などは問題だ。
「差し迫った問題、われわれが協力できることについて教えてほしい」というと
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水質の浄化。流れていないので汚くなっている、循環をさせたほうが良いと思うがどうか。 |
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油煙に対する対策を早急にとりたい。 |
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レストランの残飯処理対策も困っている。
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第2期工事をやっているが、第1期での環境問題に適切なアドバイスをしてほしいということだ。一日に観光客が2.000から3.000人、多い日だと2万人が入る。この保護区で生活している人が600人。(烏鎮全体では1万人の人口)
計画では、あと3本の通りを保存する。これからの計画図をもらって検討することにする。
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(消火栓や消火器が配置されている) |
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(のんびりと観光船が行きかう。生活と観光が溶け込んでいる) |
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烏鎮をあとに上海へ。
夜は県の上海事務所の小杉所長を加えて夕食会。
上海所長は、彼で4代目だ。
坂井さん、今村さん、外山さんそれぞれお世話になった。懐かしい。
事務所の設置について、当時の斉藤知事に設置を働きかけて実現した。
確か、平成4年に上海を訪問したときに、忘れたが誰かと話をして上海事務所の設置の必要性を感じた。議会で質問をして実現した。先見性があったと思う。
当時、香港でヤオハンの和田社長に言われた。
「中国にすべて差し上げます!」
こんなに中国に出て行って、「もし共産党軍が武力で進出してきたらどうしますか?」と質問したのに答えて彼はこういった。
つまり、戦後日本が大発展したのは「中国が戦後賠償を破格に少なくしてくれたからだ!」だから戦後補償と考えれば、そのくらいのものは全部差し上げてもかまわない!「中国人民への感謝です!」といったのを今でも覚えている。天安門広場での悲劇が暗い中国の不安な面を見せたあとだったので、あまりにも度量の大きさに怪訝な思いをしたことを覚えている。浦東でのヤオハンオープンが平成7年。オープン半年後訪問した。
デパートは足の踏み場がなかったが、ヤオハンの紙袋を持っている人はいなかった。消費の力がまだ上海市民についていなかった。しばらくしてヤオハンが倒産した。
しかし、それを大きく乗り越える勢いで日本の中国進出は伸びたし、それを飲み込んでさらに勢いを増して中国上海は大きくなっていく。
日本の10年が中国で1年だと感じる。
道路はあっと今にできる。ビルもすぐ建つ。
水質浄化作戦は「建物と人を動かす」汚染源の移動であるから確実だ。日本ではできない。
行政と民間は一体だ。区別をつけるほうが難しい。
今2004年。
2008年に北京オリンピック。
2010年に上海万博だ。これまではこの勢いを衰えさせるわけにいかない。
政治状況は何がおきるか不明だ。
所得格差は、すでに我慢の限界だろう。農村部の経済発展を目指している現政権だが、それは農業生産の減少を意味する。現に中国は食糧輸入国に転落した(それが富の象徴だと錯覚している節がある)エネルギー電力事情も経済発展についていけない。浙江省でかなり困窮しているのがわかった。(大きいスーパーで冷房が止まっている。電力調整があるからだという)
勢いをつけて、造り続けていかなければ転んでしまう景気だ。
人々の欲望を満足させるために畑を壊し、古い町並みを壊し、高層ビルと最新鋭の工場を作り続けて経済成長を続けていく中国、特に上海や杭州は注視する必要がある。
「中国進出は失敗しますね!」メンバーが言うと
「中国に出た方のかなりの方がうまくやって成功しています!その方、うまく行ったとは言いません。失敗した方が、だめだ!だめだ!と言うんです」小杉所長は続ける。
「静岡の中小企業は、ぬるま湯です!自分の力で努力しない。中国情報なんてインターネットでいくらでも集まります。最低限そこまで集めてから、さらに詳しいことを聞いてきてほしい」
やる気のある所長だ。
大いにネットワークを広げて上海・浙江省ビジネスのウイングを広げてほしい。
私たちも環境の側面でがんばろう!
有意義な夕食会のお開きは、設備協会の手塚さんの音頭一本締めで幕を閉じた。
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