マニフェスト 西原しげき紹介 8つの約束 一言コラム かわら版 レポート メールマガジン

 

自民党青年局・青年部インド視察研修旅行記2
(1997・11・23〜27)
県議会議員 西原しげき
11月25日:アグラへ
夕べのインド産コニャックは心地好い酔いと寝覚めを与えてくれた。
外は少し小雨が降っているが、全員元気にホテルを出発。
ジャイプールからアグラまで、235キロ。
これを今日は高速道路を利用して移動するとのこと。
昨日は、デリーからジャイプールまで、最初の話では「新幹線で移動する」と聞いていたが、結果は見ごとに裏切られた。
従って今日の高速道路もインド版高速道路であろうが、はたしてどんなものかと興味をもって出発する。
軽快に出発した我がバスであるが、またもや「トラベルはトラブル」に遭遇する。
ホテルをでて三十分。
我がバスのすぐ前方で車の正面衝突が発生。
野次馬で見にいった団員によると、さっき得意げに我がバスを追い抜いていったトラックと言うこと。
どんどん後ろに車が連なっていく。
前には当分行けそうにない。
ここで急きょアシュラさんの判断。
「Uターンして、迂回路を行きます。1時間余計にかかるが、ここにいたら、何時間待つか解りません」
延々と続くスラムの街。
舗装のしてない土道が、今朝ほどの雨でひどいぬかるみの状態。泥を跳ね上げ大きくタイヤをそのぬかるみにとられながら揺れてバスは進む。
しばらくして草原のようなところをバスが行くと両側に奇妙な光景が見える。
そこかしこに、ペットボトルをもった人が歩いている。
傘をさしてしゃがんでいる人もいる。
その光景をどこへ行っても大勢ではないが見る。そういえば昨日も見かけた。
そうだ!これはうんこだ。うんこをしているんだ!
インドの街はそういえばうんこだらけだなと改めて感じる。
牛の糞、犬の糞からあらゆる動物の糞がどこにでもある。
まるでうんことつきあうことが当たり前でもあるかのように。
うんこが嫌いな人はインドでは疲れてしまう。
変な納得をしてしまうのもインドに染まり始めた証拠なのか。
ペットボトルの中には水が入っている。
インド人は、トイレで紙を使わない。
ウオシュレット?
そのとおり。左手でお尻を洗い、最後にもう一度その手に水をかけて清めます。
私たちもペットボトルを持っていますが、それは大切な飲み水。
バスは踏切にかかる。
列車が来る十分前に踏切が閉まるという。
片側へ順序よく並んだ列へ、次第に反対側車線にも車が押し寄せてくる。
ルールなんてない。
踏み切りが開くと、あちらとこちらにいっぱいに詰まった車が、一斉にクラクションを鳴らしながら先を争って前へ進もうとする。
なんてひどいルールのない国だと思うが、しばらくするとなんとなく上手に進み出す。
力強くて勢いのある国だ。
この国がみんなで力を合わせてがんばったら恐いな。
そう感じた。

タージマハルはきれいだ!
タージマハルは教科書どおり。
目を閉じると、中学の歴史の教科書に、白黒でシンメトリーに浮かんでるタージマハル。
それが目の前にある。
はだしになり、冷たい大理石の床を踏みしめながら、石細工のすばらしさと偉大さに感嘆する。
裏に見おろせる川面を眺めながら、その時代のインドを、墓を建てた王様を、その王に愛された妻を思い描きながら、ついでに日本にいる我愛妻を想う。
インド料理にも少し飽きてきたが、至って元気。
明日はデリーへ戻る。
11月26日再びデリーへ(日本大使館訪問)
降り頻る雨の中をアグラ城訪問。
途中から雨がやんだ、アグラ城からの眺めは格別。
王様が帝国の力を傾けて作ったと言う(現にそれで帝国が傾いたというが)昨日訪問したタージマハルが、雨上がりの靄の中から次第に姿を表し、同時に見渡す限りに広がるインドの森が神々しく浮き上がる様は、「インドに来た!」と感じさせてくれる。
息をのむほどの建築に感動しながら、でも一方で、あの汚い街が浮かぶ。
「昔のインドにできてなぜ今のインドにできないの?」
とアシュラに聞くと
「やらないから。やればできる。」
インドとは怖い国である。
鳥たちがさえずりを始め、眺めもいいのでもっと見ていたいと思うのだが私たちの今日の目的は、日本大使館訪問。
急ぎ足で、見学を済ませ、デリーまでの約4時間のバスの旅に出発。
途中、インドでは慣れてしまった交通事故で少しの渋滞があったが、私たちは無事デリーに戻ってきた。
全員がネクタイに背広というフォーマルに着替えインド大使館訪問。
インド大使館の谷野作太郎特命全権大使始め政治経済の分野に渡り参事官から丁寧に説明を受けたが、その内容についてはここでは詳細を省くがいくつか印象に残ったことについて触れてみる。

インド事情の説明を受ける
温厚な人柄がにじみ出るような谷野全権大使からは、
「日本はもっともっとインドという大国を視野に入れていくべきである」
「現在押すな押すなの人気で、大使館としてはうれしい。国と国だけではなく、地方の時代といわれている中で、地方としてもインドに大いに感心をもって欲しい」
と挨拶があった。
席をたちかけた大使は、さらにこれだけ若い皆さんに話しておきたいと座り直し、語りかけました。
「インドの人にどこの国が一番好きですかと聞くと、日本と答える。日露戦争で西側をやっつけた日本は、反英戦争で戦っているインドを勇気づけた。原爆で立ち直った国。経済発展の過程でも、自国の文化を守っている国、日本。インドは日本がすきなんです。」
さらに続けて
「中国や、韓国など不幸にして、日本の近隣諸国では、つらい思いの国がある中で、インドは確かに少し遠いが、日本に対する感情が非常にいい。日本はこの国をもっと大切にしなければならない。」
「先の昭和天皇がなくなられたときインドは3日間半旗を掲げて弔意を表した。彼らは最近の日本の元気のなさをも心配している。天皇陛下にもインドにきていただきたいし、総理にも聞て欲しい。」
穏やかななかに熱く語りかけてくる大使の想いに、団員は皆一堂にうなずいている。
岡村参事からは、混迷を深めるインドの政治状況について。
駒野参事からは、最近のインド経済について詳しく説明を受けた。
インドは、素晴らしい経済成長を続けているが、インフラ整備の極端な遅れ、政治の不安定、行政の大きな関与(規制)等が企業活動にとって当面の大きなデメリットとなっている。
しかし世界輸出入銀行の調査によると、短期的投資対象地域としては7番目だが、10年後ということでは中国に次いで2番目という。そういう意味では、インドの将来は期待できる。
農業については大変な保護政策をとってきたので、現在食料の自給率は99パーセント。
これは間違いなく大きな成果であるが、日本同様大きな財政負担になっているので、規制緩和を行い、今後保護政策の見直しや、輸入規制の緩和など、農業分野での改革を行っていく予定という。
駒野参事官は、
「二十一世紀にはインドは食料の大輸入国になるでしょう。」
と語っていたが、その時いったい世界の大輸出国はどこの国なのか考えると、恐ろしい。
私たちは、カースト制度について、スズキのインドでのトラブルについてなどいろいろな質問に答えていただきながら、かなり予定時間をオーバーしたが、研修終了し、きれいに管理された庭で記念写真をとり大使館を後にした。

参加者一同 インド政府前で記念撮影
インドでの疑問、その一。
牛たちの生活について。
何のために、そこにいるの?
えさは、残飯、雑草?
事故はないの?
老後は?
岡村参事官が答えてくれました。
牛はミルクを出します。
ミルクを出さなくなった牛は、食肉の習慣はありませんから、郊外に、捨てられます。
事故や、殺されるものもいます。
牛も大変暮らしにくい時代になってきました。
(えっ!まさか、ホテルででるミルクは、ごみ、残飯?)
インドでは、犬も鳥もすべての生き物が皆友だちという感じで「共生」しています。
それを思いっきり実感できます。
でもインドがこれから日本みたいに経済発展をする国になっていった時、その「共生」は、守られるのでしょうか。
残るのでしょうか。
身勝手かも知れませんが、インドだけは生き物と人間が「共生」できることを続けて欲しいと思います。
日本が戦後失ってきたものを、中国や東南アジアが、今急いでなくしているものを、インドはもっている国だと思うから。
スズキの話がでてきましたが、静岡県の企業がこんなにインドで活躍しています。
インドでの4輪車のシェアの八十パーセントをスズキの合弁会社が占めているとのことです。
経済だけでなく、静岡県と関係の深いインドともっと仲良くつきあいたいと感じながら今日の反省とします。
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