マニフェスト 西原しげき紹介 8つの約束 一言コラム かわら版 レポート メールマガジン

 

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静岡県・浙江省友好提携20周年記念
第4回静岡県チャーター便中国訪問団Vol.2

平成14年10月25日

県議会議員 西原しげき

西湖は変わっていない。
シャングリラホテルの前から遊覧船に乗り込む。
十年前と同じだ。
数日間ずっと雨模様だったと言う杭州は、わたしたちを歓迎するかのように天気になった。寒気が入って来たと言うことで少し霧がかかっている。それがまた風情がある。霧があるところお茶の産地である。

静かな湖面をわれわれ議会一行と馬さんを乗せた遊覧船がゆっくり進む。
既に全員が何回も来ていると言うことで、島に立ち寄るのを取りやめる。考えてみれば秘書室の宮本さんが初めてだったが、随行と言うことであきらめてもらう。
馬さんが「昔の市長さんは絵もかけたし、書もうまかったです」という宋の時代のえらい市長さんが作った堤防の説明を聞く。
簡単な話だ。西湖にたまった浚渫土砂で堤を作っただけなのだが、それが美しい湖に物語を作ってきた。
エンジンの音がほんの少ししか聞こえない。静寂の湖は時々、薄日を受けて水面がきらきら輝く。かすみがかった墨江の世界に回りの風景画が溶け込んでいて美しい。
森議長が馬さんに、西湖の環境問題について聞く。
「汚染で問題がありました!そこで近くの川から水を引き入れて10日で全部入れ替わるようにしています。以前は、水草を入れてとも考えましたが、湖全体の水面を水草というわけにもいかなくて結局そんな方法をとっています」
浚渫も平行してやっているというから、佐鳴湖同様苦労しているようだ。

船の上では、西湖博覧会や美食博覧会など浙江省や杭州のイベントと産業振興の話に花が咲く。馬さん(浙江省人代常任委員)が「美食祭りは市民にも喜ばれますが、10月は杭州が一番にぎやかです。10月21日には花火大会がありました。」と説明する。
中国の人以外では、ヨーロッパ人観光客が多いという。年寄りが多いそうだが、孫を連れてくるのでそれはそれでいいようだ。


船は小島(三潭印月)の周りをゆっくりとまわる。
約400年前に作られた7ヘクタールの人工島だ。三角形に配置された月を眺める装置がある。それぞれに、明りをいれて紙を張ると、水面に五つの月ができる。合計で15となって、本物の月と併せて16の月を見ることができる。
昔の人は贅沢なことを考えたものだが、そんなにたくさんの月を見てどうするんだろう。
対岸に雷峰塔が見える。
呉の時代に建てられたものが、975年に焼けて、最終的に1924年に壊れてしまった。それを今回再建したのだと言う。アドバルーンが上がっている。数日後に竣工式典が行なわれる。
夕暮れ時、周辺に太陽が当たらなくなったとき、塔の先端だけに陽が当たる。そこには金メッキが施されていて、頂上の部分だけが金色に輝くと言う。
私たちの周りにはひとり35元で乗る事ができるたくさんの遊覧船が浮かんでいる。手漕ぎが多い。いかに西湖が人気スポットか分かる。
西湖遊覧が終わると、城隍閣から西湖の全景を眺める。
その施設内部の、展示がすばらしい。栄華を極めた宋代の杭州の町並みが、生活が目の前にあるかのごとく絵巻物のジオラマで迫ってくる。いまそこににぎやかな人々の暮らし振りがあるようだ。
城隍閣の下にある古い町並みを見学する。
まあ、観光ショッピングセンターを映画のセットで大掛かりにやっていると言う感じだが、なかなか感じが出ている。売っているものは、おみやげが多い。
困ったことが起こった。
靴が壊れた。靴の後ろがはがれてサンダル状態になってしまった。
午後から要人として議長と行動するのにこれではヤバイ!
幸い、座って商売をしている靴直しのおばあさんがいる。「これしかない!」
おばあさんに「直して!」と靴を見せる。言葉は通じないが、見れば分かる。
横に座って、靴を脱いで差し出す。
おばあさんは、さっと靴を拭いてアロンアルファー見たないな瞬間接着剤をつける。
「以前やったことあるけどつかなかったなあ!」とつぶやくが聞こえるわけもない。
しかし、少しプロだ。口で吹くのだ。少しずつ接着剤を塗って、ぎゅっと押しながら、フーフーと吹く。これならいいかも入れない。
自信げにできた靴を渡してくれる。4元だった。
出発の朝名古屋でスーツケースの取っ手が壊れて、ドライバーを借りて修理した。よく壊れる旅だ。でもここは安く直ったことで喜ぶ。
食事は、友好飯店。
料理の紹介をします。まあ何処でもこんな料理が多いですので参考までに。
議会一行と離れて議長と行動する。
棒湖飯店に集合するのは、これから省長幹部と会見するメンバー。
ここでまた困ったことになった。靴がまたおかしくなったのだ。
とっさの判断で靴を買いにいく。黒塗りの貴賓車で靴屋に車をつけてもらって260元の靴を買った。ほっとする。

先導車はパトロールカーで何台も連なって進む。道路の車はよけて待っている。信号も交通警察がさえぎって私たちの車列を優先する。
浙江省政府行政センター3号楼に到着する。
省政府会議室には超徳江書記はじめ沈祖倫対外友好協会会長なども出迎えてくれる。

超書記は挨拶で、いままでこの交流に尽力した方々への感謝を述べる一方で、「書記として日本を訪問したいし、静岡へも行きたい」とゆっくりとした口調で話し始める。
静岡の資料を午前中見たと前置きして「第一印象は、静岡県には富士山があるということです」とこちらに気を使う。
その後は一気に中国の宣伝である。
改革開放の成果として、1979年から2001年の中国のGDPは9%の成長でした。しかし、世界は3%だった。中国のスピードは速い。
「世界が一歩出ると中国は3歩です。」
一呼吸おいて私たちのほうを見て
「先進国は2.5%の成長です。先進国が一歩出ると中国は4歩です」
参った。
浙江省はその中でも13.1%あるという。今年の9月までの半期でも12.2%と以前勢いは衰えていない。
「都市部では収入の伸びが17%、農村部でも8%の伸びです。しかし先進国との距離はまだまだあるという感じです」
とした上で
「浙江省としては静岡県に見習わなくてはならない。両省県の交流はまだまだある。」
として更なる交流の発展をしたいと結んだ。
そして、政治経済文化に加えて、青少年や教育での交流にも「自信」をもっていることを強調した。
上海をリーダーとして揚子江流域は元気がある。
浙江省はさらに経済的に発展するだろう。

知事からも、「大交流時代の中で中国浙江省との間で、経済始めさまざまな分野で交流が広がってきた。20周年を機によりいっそう多くの分野で交流を促進し、いっそう強固な関係になっていきたい。」とした上で
「超徳江書記に静岡へきてほしい。お待ちしています」と結んだ。
知事がペーパーを読んだからと言うわけではないが、どうも先方の勢いのほうが強く感じた。製造業でも農業でも押されっぱなしの日本の現状では「誇れるもの」がない事とあいまってやむをえないかもしれない。

さらに言えば「静岡にとってどうしても中国が必要だ」というものがない。中国にとっては日本は重要なお客さんだ。日本や静岡が大事だと言う気持があらわれるが、静岡にとっては「製造業が取られて、安い農産物が入ってくる」あまり歓迎されない国といった気持が働いているのかもしれない。
会見場は、知事や書記の周りを始め花がふんだんに使われている。
バラ、ゆり、かすみそう、ガーベラ、カーネーションすべて日本にある同じは花だ。
この花も日本に押し寄せている。

会場を杭州劇院に移して記念式典と記念行事が始まる。
私も壇上に席がある。最初に、習金平浙江省省庁代理が挨拶する。
習さんは時期省長だ。
挨拶は石川知事、昨日夕食を共にした李澤民人民代表大会常務委員主任、森議長と続く。
通訳を交えての挨拶なので時間がかかる。
沈祖倫さんの話は少し目がさめた。
「中日の間には摩擦が起こったが、地方と民間の友好が大きくなってきてうれしい。」
とした上で、教科書問題を取り上げながら
「右翼団体によって編纂された教科書が、日本の各都道府県や教育団体のおかげで0.03%しか採択されなかった。中日友好の成果である」と言い切ってしまった。
さすがに、この場の雰囲気に私自身は水をさすような話しだと感じたが、中国国内が事実そうとらえている事であり、これからの別の意味での交流課題と考えた。
ますますこの歴史認識は議論されるべき事かもしれないが、これは国内問題の解決が先だ。
井上日中友好協議会理事長の挨拶も力が入っていた。
おざなりの文章ではなくて、ほとんどご自分で書いたと思われる文章を85歳とは思われない力強い口調で語った。

「古いいきさつを知っている人が減ってきた!」
伝えておきたいと言う思いが伝わって来る。
「22年前の1980年、山本敬三郎知事とやってきた。温州みかんとお茶の故郷と言う単純な動機だったが、来て驚いた。美しい西湖や産業など気候風土など静岡県とも似ている。早々とここしかないと決めた。」
意気込みからまだまだ話しが続きそうだ。
「改革開放が始まったころで、相互理解がなかなかうまくいかなかった。忍耐でやった。気も使った。」
「当時の沈省長さんが『晩婚でやろう』と言った。私は『どうせなら早いほうが言い』と主張した。その時、省長さんが『静岡県はお荷物を持つことになって大変だよ』と言ったが、それでもかまわない提携は永久ですと言って進めた。」
ボルテージはあがる。
「現にいまや中国で確たる浙江省になった。世界でも艦たる浙江省になった。」
とした上で更なる友好提携の促進を訴えた。
式典は予定時間を大幅にオーバーして終わった。
日本側の熱いメッセージは日中両国の参加者にどう映ったであろうか。

浙江省との友好。一時代が終わってまた始まろうとしている。
これに続く若い世代が育っていく必要がある。
1時間半の挨拶やその前の話しをまとめて、日本は過去の経過などに触れるが、中国はこれからの発展と友好促進に触れている。
浙江省にとって「静岡は有利かどうか」「友達として経済産業文化教育で交流してためになるか」その視点が大きい。
記念式典のあとは、記念行事として舞台演劇やマジックショウ歌謡が披露される。
静岡へ来てもらってこれだけの芸能人を用意して歓迎行事はできない。なんと奥深い中国浙江省であろうか。
小さな子どもたちによる曲芸を見ていて、「日本は教育を一律にやっているが、こんな運動ができて人々に喜んでもらえる人を作るのもいい」などと考える。
日本・静岡の都道府県や市町村間での交流のあり方を良く考えさせる一日だった。
夜は、喜楽酒店で800人の静岡県人が一堂に会して、中国要人との歓迎宴が盛大に催された。浜松のたこが激練をする。会場は熱気に包まれる。
ユースウイングの青年たちが元気良く「静岡賛歌」を歌った。私もいっしょに歌ったが、この青年たちが中国との担い手のいなっていく日も近いであろう。
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