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ヨーロッパ視察研修
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盛だくさんのヨーロッパ研修日記 11/11.12
 西原しげき
11月11日
今日はミュンヘンを離れてベルリンへ。
ルフトハンザミュンヘン11時10分初でベルリンへ向かう。旧西ドイツの空港はベルリン市内までバスで15分と近い。
毎日毎日のドイツ料理に飽きた私たちにとって、昼食に出た中華料理は久しぶりにおいしく感じられた。
午後は、ベルリンの壁が取り払われ、新しいドイツの首都として都市再開発をしている地域を視察するべく、そのインフォメーション機能をつかさどるインフォボックスを訪問する。
クレーンが協奏曲を奏でている感がするこの地域には、政府機関や世界的な民間企業が、新しい街づくりを目指して建設ラッシュだ。ソニーも3ヘクタールの土地を購入し奇抜な設計のビルを7棟建設している。
その開発地域の中心に赤い目立つセンスのいい建物がある。
これがインフォボックスである。
新しいドイツの首都の発展ぶりを見ようと、多くの国民、観光客がひっきりなしに押し寄せている。「そうなんだ、国(の首都)を作っているんだ。」とこの活気を改めて理解する。説明は、そんな観光客がとおる雑踏の中で行われた。
特に国会議事堂とその周辺について説明が行われる。
議事堂が修理され再び国会議事堂として使われるようになったこと、議会棟が東西ドイツ統合の意味合いを持って設計建築されていることなどが説明される。
都市開発で統一的な設計はされないのかとの質問に、現在はみなそれぞれの設計でやっている。本当は統一してやりたいが、それぞれの進出企業にとっては競争なので、(ビルに企業が進出してくれないと困るから)自由にしているとのこと。
「ソニーは日本の企業。こんなに貢献しているんだから、インフォボックスに日本語のパンフレット置いたらどうでしょうか」との質問に
「ソニーはグローバルプレイヤーですから」
には、まさにそのとおり。
わたしたちはそのあと、旧東ベルリン市内のドイツ帝国が誇ったペルガモン博物館を見学した。旧ドイツ帝国が、トルコや西アジアの地から発掘した大理石の祭壇や、大きな門をそのまま持ってきて復元した壮大な展示博物館に、感嘆しながら見学をした。時間の都合で早足であったのが残念。
ベルリンも芯から冷える。
11月12日
ベルリンの朝は、ドイツでは久しぶりの晴天。
出発してすぐに、ベルリンの壁が残っている施設を見学して、その後今日最初の訪問であるドイツ連邦労働省をおとづれる。
「社会秩序省へようこそ!」
通訳の浜田さんはこう訳した

担当者2人で説明
説明は、社会基本問題担当官のユルゲンバルトさんと、同じく労働政策担当のハンマーさん。説明をはじめながら
「飲み物セルフサービスですがやってください!」
そこは我がずうずうしい視察団。すでにコーヒーは注いでいる、飲み物の栓は抜いてグラスに、ビスケットまでぱくついている。
「はい、かってにやってます!」まだ手をつけていない団長が答える。(冷や汗)
いつもの得意な「皆さんはどういうことを調査したいのか?」との質問に、事前に予想していたのか今日の担当の鳥澤さんが、かっこいい要請をする。
ドイツの失業者とその対策について。
現在ドイツには388万人の失業者がいる。400万人は切っているが非常に高い。
特徴は@長期の失業者が増えている。これに対しては、復帰を図る対策と新しい職場を作る対策の2つの施策をとっている。次はA青少年の失業が多いので、就職できるようにしてあげる施策を取っている。
青少年の施策に付いて触れる。
昨年の秋、新政権が発足と同時に提案した。今年の5月には10万の青少年に向けて新規プロジェクトが動き出し、すでに配置されている。新しい職場への就職や職業訓練の場の提供などで、新聞やパンフレットなどさまざまな媒体でPRがされたが、その仕事は労働省の職業局で行われた。
職業局について。
国内に180の局がある。これが地域ごとに分かれ、職場の斡旋、職業訓練のコンサルタント、失業保険の給付や補助など3つの仕事をしている。ちょうど日本の職業安定所といっしょだ。
先ほどの青年の職場創出に戻ると、予算が20億マルク計上された。そしてこの政策は効果があったので1年延長されることが決まっている。特に落ちこぼれた青年の対策もした。ドイツではマイスター制度(職業制度)が定着しているので、職業学校へ行くことが必要だが、その措置をもできるよう進めた。普通の学校でも、職業のことをよく知ってもらう。今の経済にあわせた学校教育のプログラムにするようにした。
今の経済状況について。「まずドイツが二つに分かれていることについて話さなければなりません。」
ユルゲンバルトさんは神妙にはじめた。
1990年にドイツは統一されたが、いまだに労働市場は東と西で隔たりがある。統一後、東の救済、労働雇用政策のために、250億マルクの資金が投入された。年金分も含めると社会政策として3310億マルクになる。
失業率は西で8、2%旧東で16,9%でドイツ全体では9、9%だ。
しかし、これ以上大規模な援助を旧東ドイツに出せないのが現状である。
失業者の支援や失業保険あるいは職業訓練も必要だが、市場を活性化させて、職場そのものを作っていくことが大事である。
しかし、二つの国が突然いっしょになったので、速く賃金をあわせなければと調整してきた結果、東側の企業にとっては大きな負担となった。東側は限られた市場コメコンしかなかったし、生産性も低かった。旧ソ連が崩壊してからは市場も失った。900万人いた労働者は600万人になってしまった。(労働市場の激減)
これに対して政策は2つあった。
一つは短期就業支援金の支給。もう一つは税金で職場を作ることだった。
短期では、1991年に100万人支援した。企業が一時的に給料が支払えなくなったときに出した。
職場つくりは、40万人の職場を作った。
どんな職場を作ったかというと、たとえば、旧東ドイツは環境汚染がひどかったので、それを復元する仕事を税金で作った。政府奨励金が出なければやれない仕事だが、これを行うために行い現在まで続けてきた。
しかし、これからは今までの政策は取れない。東側の経済構造の変換をしていかなければ。そのためにABM(職場創出)に力を入れていく。
労働コストの問題は大きい。特に社会保障制度の発展のもと、個人と企業の負担が労使折半となっている。給料の40%なっている。これが労使折半なので、この%を引き下げるようにしていく。失業保険は下げられないので、年金と健康保険を引き下げようとしている。年金は掛け金の割合が少なく税金がほとんどとなっている。この部分の負担を減らし、税金分を増やす傾向にある。
政策は失業対策ではなくて、経済の環境作りという面。賃金の副次的コストを減らし、企業負担を減らすことによって職場を作っていくのである。
年金を下げていくことも新政権の方針だ。
労使委員会を作って共通政策を作る作業している。
ドイツでは賃金は企業と労働者側双方の交渉で決まる。話し合いが重要である。社会保障についても両者折半だから。
これら現在の労働市場の問題解決のため企業・労働・政府の話し合いは常にもたれている。
質問が行われる。
40万人の雇用創出はどのような形で行われたか。雇用形態は。
職場創出対策(ABM)は、個人の直接対策ではない。法律的オーガニゼーションで企業にメリットはない。
会社はこのABMを使うために設立される。たとえば環境汚染除去会社を作って失業者を雇用する。有限会社はもちろんプライベートカンパニーである。環境汚染は旧東ドイツでひどかったので(泥炭の野天掘り)現在でもこの仕事は続いている。
年金の減らした分増税があるのではないか?
年金の掛け金を減らすことは前政権で決めた。そのため1998年に消費税を16%に上げてその1%分を、この分にまわした。150億マルクの年金の補助金ができた。またエコ税を上げることによって、現在の20、3%を19、5%に引き下げる。
年金は本来プール制だが、実際には女性が育児休業を取るとき(なんと3年も)は年金の負担がないことから、これら隙間の負担の穴埋めもできる。今国会ではエコ税(増税)がとおったことから、さらに0、2%下がって19、3%になる。将来は18、5%に持っていきたい。
失業率はどのあたりがノーマルだと考えるか。
「全員雇用!」
と答えつつも慎重な言い回しで、200万(4〜5%)を切ってほしい。しかし4年間では難しいだろう。
青少年の失業対策に関して。
ドイツではまったく職業訓練の仕方が日本と違うことから認識しなければならない。
日本では、企業が採用してから会社の中で訓練するが、ドイツでは、産業界として訓練してから採用するシステムになっている。訓練は無料でやってきたが、企業に余裕がなくなってきた(財源)ので、若い人たちの訓練の場がなくなってきた。
今までは企業が自分のところで雇って職業訓練校にやった(専門学校に週3〜4日)。しかしこれができなくなってきたので、政府として大きな働きかけをした。企業連盟に、自分のところで採用できなくても「まずは職業教育をしておいてほしい」と。そうしたらこれに賛同する会社が増えてきた。青少年の失業対策といった場合対象は、25歳以下で職のない人という定義だが、現在40万人もいる。
ドイツでは中学にも落第があり、職業訓練を受けられない生徒もいる。これらにもアピールして、卒業資格をとらせて、職業訓練を受けられるようにすることもこのプログラムの中に含まれている。
日本といっしょでやる気のない子供にも、短期職業実習で仕事を見てもらう。給料ももらえるがたいした金額ではない。自活はできないが親と一緒に暮らすのであれば十分だ。
文部省との関係は。
文部省は州政府にあり、プログラムには入っていないが相談していっしょにやった。先ほどの3者委員会(企業・労働・政府)が、どのような子供を産業界がほしいか相談して施策を進めている。
首都機能の移転について最後に。
ボンに大部分の職員が残っていて、だいぶやりにくそうだが、
「だんだんベルリンに移ってくるでしょう。最新の情報機器を使って打ち合わせもやるようになっています。ただ先日、初めての試みとして大臣がボンとテレビ会議をやるというとき、大臣がいすにかけたとたん調子が悪くなって中止しました。首都になったといっても落ち着くまでには時間がかかるでしょう」
快く対応してくださった労働省の皆さんと握手をして私たちは、元旧東ドイツの銀行のオフィスだったという労働省の建物を後にした。
ベルリン商工会議所のガラス張りの新しい建物のいりぐちには「shizuoka kenngikai」
の歓迎の看板がたっていた。
ここで私たちを迎えてくれたのは、ベルリン経済進行委員会のデトレスブラウンさんと、ランツェンさん。ラアツェンさんはBAOの組織に属している。
「今日は日独の活発な意見交換をしましょう。企業の皆さんは同業社がいるからなのか本音を言わない。ベルリンで静岡を知っている人は私を除いてほとんどいないでしょう。逆にキューリンゲン州・ボンを知らない日本人がほとんどでしょう。」
彼は日本とベルリンとの交流に熱心に話を勧める。

我が視察団の案内看板が設置
歴史家から。
ベルリンは1671〜1945ドイツの首都だった。そして1990.10.3日統一した日から再び首都になった。ボンからベルリンまで600キロメートルある。
ブランデンブルグ州の中にあるが、ブランデンブルグの首都はポツダムになる。
旧東ドイツは、5つの州と東ベルリンで構成されていて人口が1600万人であった。今では5州は「5つの新しい連邦州」と呼ばれている。また旧西ドイツは、10の州と西ベルリンからなり人口は6400万人となっている。こちらは古い連邦州といわれている。
人口比で1:4のドイツはGDPでは1:15(あるいは1:25)だった。
ベルリンは約880平方キロで、東京23区(770)夜少し広い程度。
1990年に西ベルリンで20万職場、東で20万職場あったが、現在では、西で14万人、東ではなんと2万職場しかない。
8年間で24万職場を失ったことになる。
統一当時東側の国営企業を、トロイハント信託会社が入って民営化していった。東ドイツ民営化の官庁で12000社を民営化したり解体した。西側の会社が買ったが、一部しか買わなかったので著しく職場が減った。15万職場は回復することができたが、以前の状態を回復することはできなかった。この回復した職場は生産ではなくてサービス業だ。
ベルリンの失業率は16%だが日本式に計算すると、だいたい8〜9%になる。
ベルリン州政府は職場を作ることを努力している。
ハイテク部門で@若い創業者のスタートアップのチャンスを支援する。 A海外ハイテク企業に進出してもらう。
特に@についてはほとんどがハイテク部門だがどんな分野でもサポートしていく。メディア(首都なので情報が集まる)、インフォメーションテクノロジー(西ドイツがプッシュしたので進んだ)トランスポーテーション(交通鉄道メーカーがベルリンにある)、バイオテクノロジー(100社がある)、エンバイロメンタルテクノロジー(東ドイツに環境に対する問題があったが克服してきた)、メディカルテクノロジー(19世紀には医学の中心、人工心臓の町)次々と説明するブラウンさんの口調は滑らかだ。
「この間大阪に行って35社を訪問してきました。どんどん進出してください」
といって日本のベルリンへの進出を私たちに促す。
「ドイツはサービス産業の割合が60%で、日本やアメリカの70%に比べて遅れているので、この面をさらに伸ばしていく」強気だ。
ベルリンの優位性は、リスボンに2992キロ、モスクワに1600キロ、ローマに1180キロ、プラハには270キロとヨーロッパのすべてに2時間以内で行くことだ。
「東京は2時間でいけるところは韓国だけです」とブラウンさん。
いくつかの質問が出される。
ユーロ統一でブロック化が進むのか。
3つのブロックは競争ではなくてお互いに交流しあうようになる。欧州と東欧はさらに大きくなっていく。日本はあまり興味を示してこなかったが、特にユーロ10ヶ国は日本にとって重要である。なぜかというとアジアの国々は、日本の製品を買わない。しかしユーロの10カ国は買う。ドイツにおける車の販売実績ベスト20が毎月発表されるが、日本車は最後に数社出てくる程度。15年程前にはベスト10の中に入っていた。
日本の車は、ヨーロッパにアッセンブリー工場を持っている。しかしイギリスにある。イギリスの車はヨーロッパでは人気が悪い。
「クオリティーはカタストロフィー!ドイツの日本人だってイギリス車は買わない!」
手厳しい。
日産はサガランに工場があるが、ここで生産された車は、イギリス車として市場に出る。日本の会社はヨーロッパを一つと見て、イギリス一国におけば良いと思っているが、15国から成り立っていることを忘れてはいけない。
なぜイギリスかというと、英語をしゃべることと賃金が安いということだが、賃金は大きい意味を占めない。生産性が大事だ。
ブラウンさんは、さらにドイツへの輸入促進と、ジョイント企業(ドイツ・フランス・日本などといった3国間)への取り組みについても説明する。
さきほどの統一後職を失った人の動向に付いて聞くと。
「失業したままです。サービス業に従事した人は別な人です。」とつれない。もっともこちらのほうは午前中訪問した労働省が担当なんだろう。
次に残されたわずかな時間だが、女性のランツェンさんがマーケッティングサービス有限会社の説明をする。2週間前にブラウンさんと大阪に行ってきたという彼女は、好意的だ。
この会社は、商工会議所の70%出資の子会社である。あとは手工業組合や電気産業中央会などが出資。ここでは、発注コンサルタントや見本市コーディネート、企業マーケッティング、物流やインフォメーッションの仕事をしている。ドイツの税関情報の手伝いもしている。またゼミや、スクーリングの情報も出している。ベルリン市を国内外に紹介する仕事もベルリン市から委託を受けてやっている。

弁舌さわやかなブラウンさん
最後にブラウンさんが
「いい話を一つしましょう。エアーバッグのタカダはザクセン州に会社を作った。なぜか。エアーバッグは2回は使わない。1回だけしっかり機能すれば良い。ドイツは車メーカーの国だが、そのメーカーがタカダを使うことになった。ドイツで生産するものだから使おうということになった。いい進出になった」
日本の車を楽しんでいるというブラウンさんは、終始笑みを保ちながら、熱心に私たちに向かって交流の手を差し伸べて話してくれた。
「お茶はどうですか!」(お茶の販売)
は少し向こうの期待に添わなかったかもしれないが、さまざまな糸を手繰りながら経済、そして文化と交流の輪を広げていくことがこれからも望まれる。
「もう一度、ドイツと日本と組んで(イタリアははずして)やろう!」と活発な議論に沸きながらセンタービルを後にした。