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ヨーロッパ視察研修
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盛だくさんのヨーロッパ研修日記 11/16
 西原しげき
11月16日
今日は抜けるような「ポルトガル日より」
夕べ遅くに、イベリア空港でポルトガルの首都リスボンにはいる。
時差がスペインより1時間遅れている。
夕食は機内食で済ませて、久しぶりの「胃にやさしい日」
「どうしてこんな早くにでるの」なんて文句を言われながら、9時に昨年開催されたポルトガル国際海洋博覧会会場跡地に到着する。

説明は女性のラフォードさん
海と間違えるほど川幅が広く、とうとうと流れるテジュ川沿いに開発された会場地。
「海の遺産とその将来」と命名された博覧会とその後の管理運営について、セーター姿の気さくそうなラフォードさんが話をしてくれる。
「おい!早く終わって水族館を見よう。視察は見ることだよ!」すでにひそひそと声が聞こえる。私も、できれば水族館は見ておきたい。
しかし彼女はビデオも入れて熱心に話を続ける。まあしばらくは彼女の講演を聞くしかない。
ここの開発は1992年に海洋博覧会が決定したときに始まった。政府100パーセントの会社を設立(パルクエクスポ)して、政府資金やヨーロッパ資金を導入して行ってきた。この跡地事業は1999年初冬に始まった。国のバックアップを受けてプロジェクトが進行中。
330ヘクタールを4つの区域に分けて進める。
「博覧会を開催する過程で、石油基地を移転し、コンテナ基地も移動しました。
と殺場を取り壊し、軍の施設も移転しました。ごみ処理場を横にずらして、最も汚い川といわれていた川をきれいに浄化しました。」
再開発の手法といえばそれまでだが、万博があることで一定期間に一気にできたことがうかがわれる。
「私たちは万博が行われたセルビアに視察に行き、荒れ放題の会場を見て、この二の舞いでは困る、と考えました。」
そこで、この会社では、330ヘクタールの土地を利用して二つのプロジェクトを後に続けていくことにしました。一つは港の周辺60ヘクタールで、もう一つが全体の330ヘクタールです。最も人気の高い水族館は9月末に万博が閉会後すぐ、10月16日には開館しました。次に、海の博物館もそのまま展示館として続けています。さらにテーマ感であったユートピア館は、17000人収容の多目的アリーナとして、アイススケートや土を入れて乗馬、野外コンサートとさまざまな利用がされています。未来館は、オリエント財団が管理経営を行い、12月20日のマカオ返還にあわせて催しが行われ、その後もマカオ関係の展示館となる予定です。
「すでにヨットハーバーもできてきましたし、浮き桟橋も使用しています。」
聞いていて、どんなことにでも貪欲に使っていくという姿勢がうかがえる。また今後残っている北館の展示館は、見本市会場として工業者協会が使う予定という。
この会場の付加価値を大きく引き上げているのが、オリエント駅だ。
万博と同時に建設され、1000万人の移動を担ったが、地下鉄やバスまた車の大駐車場と連結しているため、将来はリスボンの中央駅の役割を担う。ソニー広場(ここでもソニーは活躍している)はたくさんの音楽ショーが今でも行われるし、テジュ川沿いにはレストランが立ち並ぶ予定だそうだ。
お金の算段について質問がでる。
「特例法を作って、お金は政府とヨーロッパ投資銀行から出た。会場作りから運営までだが、足りなくなると注射(支援)をしてきました。万博までは、プラスマイナスが出ないように考えてきましたが、これからは再開発を進め、土地つきアパートメントを切り売りして利益を出していきます。」
これからさらにEUの支援体制はしっかりするとのことで、注射をしてもらいながら、しっかり基盤整備を行い、稼ごうという意気込みが良く理解できました。
悩みは
「開催中は一日5000人が働いていました。現在700人になっていますが、にぎやかな日には万博のときより大勢の人が詰め掛けますので、とてもうれしいことだが、リスクがあります。リスク回避、人はこのままで良いのか、これが課題でしょう。とにかく土地は売れています。去年が240億エスクードです。」
説明を終えて私たちは水族館を視察した。
どうというほどの水族館ではないが、子供たちの来訪の期待にこたえるだけの施設であることに違いはない。
面白かったのは、水がふんだんに使われていること。噴水や滝もそうだが、子供たちが水と遊べる、自然庭園がユニークだ。風車(風力発電風だが、直接揚水システム)が水を上げて、子供たちがやんやと遊んでいるさまは万国共通だ。
午後は、海事博物館の視察。
ひげが立派なヴァリ博士が館内を案内してくれる。
大航海時代を築いたポルトガルの時代が、模型の帆船や地図資料で展示されている。
歴史に詳しい人にはそれなりに、詳しくない人もにわかポルトガル通として、大変勉強になった。

口ひげに貫禄ヴァリ博士

ポルトガルは大航海時代に世界の海へ
また隣のジェロニモ修道院では、ゴチックやロマネスク、そしてルネッサンスとさまざまな建築様式について説明を受けた。カモンエスの棺の前では、ポルトガルのアイデンティティーについて話を聞いた。ポルトガルは一度大きく振れた。その時、大航海時代で大きな富を、世界中から集めて繁栄した。今は、ヨーロッパのブービーだが、その大航海時代を作ったことに大きな誇りと自信を持っている。そんなことを感じた。
夜は、ジェトロの中沢所長との夕食会が行われたが、今日見てきた世界を改めて検証する話だった。つまり、ヨーロッパの14番目の国が、万博というイベントと、EUの補助金でがんばっているということ。成長率や失業率ではとても優等生であるということ。ヨーロピアンタイガースといって、ポルトガル、アイルランド、ギリシャ、スペインが今同じような理由で調子がいいという。
遅い時間のファドのショーを見に行って少し感動しながら寝ることとする。