マニフェスト 西原しげき紹介 8つの約束 一言コラム かわら版 レポート メールマガジン

 

ヨーロッパ視察研修
<前のページ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 次のページ>
盛だくさんのヨーロッパ研修日記 11/15
 西原しげき
11月15日
バルセロナの丘、モンジュイックは標高170メートル。
今日はオリンピックスタジアムの視察です。
ここのスタジアムは中古スタジアム。
1929年、国際見本市の際作られたスタジアムを、再利用してオリンピックが行われた。正確に表現すると(ガイドの睦田さんの表現を借りれば)
「この地域の都市再開発をするために、このスタジアムを再利用する目的で、オリンピックを利用した」とうことになるという。
現にオリンピックに集めたお金の90%を再開発に、残りの10%をオリンピックに使った。
私たちは、昨日地元のサッカーチームの100年を祝うイベント試合で、アルゼンチンのナショナルチームを破ったという余韻の残るオリンピックスタジアムに到着した。
ここには、1929年に建設され、1992年に改修されオリンピックスタジアムとして利用されたものと、その横に17000人収容できる、静岡県でもおなじみの磯崎新さんが設計したアリーナがある。
こちらの国では、スペインもそうだが、文化的価値がある古い建物の保存には二通りある。一つはまったくそのとおり保存するのと、もう一つは使える状態で保存することである。
ガイドの睦田さんは、とても詳しいので、訪問先の方が来る間いろいろな話をしてくれる。
「ところで磯崎新さんて5人奥さんがいるんです。現在の5人目の奥さんである、宮脇愛子さんのオブジェもアリーナの横にあります。英雄色を好むですね。でもスペインは上手です。世界に宣伝するために、各国の世界的に有名な建築家に設計してもらい、ただで世界にオリンピックの宣伝をした。公式にはコンペをしたなんて言ってますが、あれはうそですよ」とても詳しい。
やがて案内の、バルセロナプロモーションのマイクさんとマルクさんがやってきて説明をはじめた。
「この会社は、いかにこの施設を有効利用していくかのために、半官半民で設立されました。」
一通りこのスタジアムのことについて(もちろん公式)説明すると、彼らはスタジアムへの通路をとおり55000人収容のスタジアムのグランドに案内した。
先に記載したように、ここは1929年に使われ、その後1936年のベルリンオリンピックの際使われる予定であった。1955年には、地中海オリンピックに使われたが、その後1982年までは荒れていた。
再びオリンピックの会場として使うことが決まった1982年に、4人のスペインの建築家と1人のイタリアの建築家によって、スタジアムの整備が始まった。
「気がつかれましたか。このスタジアムは、古いスタジアムを11メートルも掘り込んであるんです。スタジアムの観客数を増やすのに、下に広げた(?)のです。今私たちが入ってきた門が今回の門です。反対側にある門を見てください。2階席にありますが、あそこが1929年のときの門です。」
すごいことをやってのける。

オリンピックスタジアム旧ゲート

同じく新ゲート(旧ゲートと反対側)
質問で、トラックとか競技場問題はないのかとの質問に
「1929年のときのトラックは1周500メートルでできていました。今は400メートルですので、ぎりぎり何とかなりました。」
しかし、すごいことを考えるものだ。11mも掘り起こしてリニューアルさせるとは。
ここでは、現在サッカーチームのホームグランドとなっているし、アメリカンラグビーの試合、コンサート、自動車ショウ、子供サッカーなんにでも貸し出している。
一年の利用率はヨーロッパで一番高い(細かな数字を聞くが定かではないというからはっきりしないが)という。看板などの宣伝収入は約10パーセント。
会社は40人の従業員で、ほとんどの仕事は下請けが行う。
施設管理は4つの施設を受け持っている。
この会社は1989年に市役所によって作られた。赤字が出ると予想していたが開いてみると黒字になった。とにかくどうしたらお金が取れるかを考えている。
市側からお金が出ているのか聞くと
「とんでもないです。私たちが市にお金を支払っています」との返事、心強い。
「施設使用料を市に払っていますが、会社に勤めている人の身分はまったく民間です。トップももちろん民間人です。ただその人選(決定)は、議員などの入った委員会で決めます」

磯崎新設計のアリーナ
次に私たちは、磯崎新さんが設計したアリーナに向かう。
奥さんの宮脇さんが作ったオブジェもある。
17000人収容のこのアリーナも稼ぐためなら何でもやる。
モトクロス、スノーボード、アイススケート、水上スキー、ウオータースポーツ、食事会、ジェットスキー、上げればきりがない。エアコンが特徴という。
「窓の開閉、そして風をまわすファン、最後にエアコン」経済的だ。
このプロモーション会社には、外国人が多く働いている。理由は、イベントなどを海外から引っ張ってくるためだ。日本では考えられないが、これがこのスタジアム群を成り立たせている原動力かもしれない。もちろん観光というモチベーションがあってのことだが、見習うべきことのハードルは高すぎる。
わたしたちは、このオリンピックスタジアムを後にして、少し高台の公園から、バルセロナの港の全景を眺める。時間調整でよった公園だが、敷き詰められた歩道の広場が、廃棄物で作られているのにびっくり。敷石が、ビンのお尻や口、そして鋳物の歯車、陶器の破片、かわらが使われている。しかもすばらしいデザインだ。ここにも歴史と文化と余裕を感じる。
食事は、地中海のぎらぎらした太陽で、海面の照り返しがまぶしいウオーターフロントのレストラン。
ヨットが係留され整備されたマリーナは、すばらしい。
午後はグリーンツーリズムの視察研修。
どうしてグリーンツーリズムが、こんな街の中か?
と不思議がるが、思考回路が少しづつ麻痺してきている面々には
「まあとにかくこんな研修研修の県単はない。視察は読んでで字のごとく視覚で観察すること。机の上でメモとってもしょうがないぞ!」との声が出てくる。
しかし、待ち構える講師は、しっかり話を聞かせてやろうと、虎視眈々とてぐすね引いて待っている。そこは「国際親善」もかねているから、こっくりこっくりしながらも熱心に聞き入らなければと、食事の後の眠気と戦いながらがんばって話を聞く。
お話は、ツーリストベルデのラモンさん。

グリーンツーリズム説明、ラモンさん
この会社は、日本で言えば農協が出資して作った会社。農家が旅行者を受け入れする場合のコーディネートと斡旋などの窓口企画会社。
目的は、農家の副収入を増やすこと。自分の家を改修して、お客さんに泊まってもらい農業の体験などをしてもらおうとした。そこで泊まる客も15人くらいを考えた。何をするかというと、宿泊と馬に乗ったり散歩したりする二つのコースを考えた。
バルセロナでは観光客の3、5%しかこのような施設を利用しない。しかし、農村部にとっては、農家だけではなくて周辺にもいい影響を与えている。みんなのプラスになっている。
宿泊システムは一室借りるか、一軒借り切ってしまうかの二通りある。
最初は、農業体験コースなど考えたが、実際には「散歩」「文化」つまり道路や建物を楽しむことが重要となった。自然志向とスポーツが望まれる事項としてある。
カタルーニャ地方には、2000の城砦があるので「お城散策コース」や音楽会、そこでのパーティー開催なども人気がある。
いまでは農家ごと借り切ってしまうほうの利用が多い。
これからは、ホテルと同じように「星」をつけたり、品質保証していく方向で考えている。ヨーロッパ資金でも、支援していく動きが出てきた。
ただ難しいのは「宿泊施設を持つ受け入れ側である農家は一次産業だが、宿泊するお客は農家に3次産業としてのサービスを要求してくること」したがって、これからは農家だけではできない。政府や市も支援していかなくてはやっていけないだろうが、15人までしか取れないとかさまさまざまな規制が取り払われる必要もある。そうすれば、農家の息子たちがやっていける。

予約はインターネットで
ちなみに、一泊朝食つきで1000ペセタ(700円)から9000ペセタ(6300円)。標準で2500〜3000ペセタというから安い。日本の民宿みたいなものだが、それより安い。
そこで何をしているのかというと、1週間滞在して「動かなくて本を読んでいる」というから日本の感覚では図れないが、ゆっくりしたいということはわかるような気がする。
私たちは、150年の歴史を持つ農業経営者の団体組織(日本の農業協同組合みたいなもの?)のこの部門の責任者に話を聞きながら、日本流グリーンツーリズムの現実的アプローチの手法のヒントを得て、夕暮れが近づくバルセロナの雑踏を後にした。