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ヨーロッパ視察研修
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盛だくさんのヨーロッパ研修日記 11/17
 西原しげき
11月17日
今朝もリスボンは晴天だ。
少し遅めの出発で、市内から30分ほどの郊外、隣町のオディべラス市にある小中学校を訪問する。ポルトガルでは、1987年まで小学校4年までが義務教育だったが、そこからは小学校5年6年の第2ステージ、そして中学の3年間が第3ステージとして義務教育となりました。4年制から9年制になり現在でもまだ教室などが足りない状況だという。
「どのような受け入れをしてくれるのかわからないので、行った所で適当に対応していきましょう」まあ主体性がないことだが、とにかく現地の子供たちや先生との交流が目的なのだから、何とかなるだろうとみんな気楽に考えている。

元気な子供たちが飛んでくる
さすが子供は万国共通。早速ものめずらしそうに、飛んでくる。
「ボンディアーノ!(おはよう)」覚えたてのポルトガル語で声をかけると喜んで挨拶を返す。
校長室で、校長のリアス先生と挨拶をして、早速校内の視察。
事務室は意外と大勢の職員がいる。何をするのか聞くと、財務を担当しているとのこと。やはり経営が重要なのだろう。
「経済的に苦しい子供の措置についてもしっかりここで対応します」ということだ。
人口8万人余のこの市で、このような第2ステージと第3ステージを合わせた学校は5校あるという。生徒数800人を要する、この学校は古い学校で、昔は私立だったのが公立になったという。

校長先生と団長の奥之山さん
事務室を後にして食堂を見る。800人のうち200人が食事をとる。あとの子供は家に帰って(あるいは家でとって)となる。なぜこのようになるかというと、生徒が多いため午前と午後の2部授業となっている。横には売店もある。もちろん有料だが、先ほどのふれたように貧しい子供には無料で昼食が取れるようになっている。
次に体育館に回る。小さい。狭い。
教室の大きくなった程度の部屋が、二部屋しかない。
「子供たちのスポーツは、サッカー、次が柔道でバスケットです」
日本人はみんな柔道ができると思っているらしい。
吉川さんは子供たちの人気者だ。
身体障害者もみんなと一緒なので、スロープなどについてもできるだけ改善している。
私たちは大歓迎。
ポルトガルと日本の国旗がきれいに飾られている。日の丸は作ったという。
ありがたいことだ。教室に入ると、日本語とポルトガルの比較や、日本について インターネットなどで事前に調べたことが、印刷して黒板に張ってある。私たちも勉強になるが、この学校の生徒たちにとっても、私たちはいい教材になっているはずだ。

手作り日章旗でお出迎え。

インターネットで調べられた日本のこと。

先生は始業のべるでファイルを持って教室へ
図書室には1000冊の本があること、多目的ルームは木の壁と木の床で、我が文京警察所属議員としては「意義なし!」
「教員室です!」といって通されたところは、なんとホテルの一室より少し広いくらいの溜まり場である。ここで、私たちにはお茶とお菓子と飲み物が出された。先生はほとんど(一人を除いて)女性だ。彼女たちとお茶を飲みながら話をする。
先生の給料は、1ランクから10ランクまであって、手取りで最大で35万、最低で14万円とのこと。
語学については、小学校5年から英語が始まり、中学校になると3年間でフランス語をやる。したがって卒業時には母国語と英語フランス語ができるようになる。
職業教育については、中学卒業後普通高校の中にも職業コースがある。また職業学校へ行くケースもある。また職業訓練校もある。
歴史教育について聞くと
「栄光の時代を中心に教えます!ほかの国々との交流がどのようだったかも教えます。教科書はある決められた中から先生が自由に選択できます」
私たちは、まず5年生の歴史の授業を参観した。
ちょうど原始時代のことを勉強している。おなじみの原始人が、狩猟をしている絵が描かれた教科書が開かれているのでそれがわかる。
「原始人が何を食べるのか、料理はどうしていたのか、を勉強しています。火のないときには、肉や魚を生で食べていましたが、今日はここに、魚を生で食べている人たちがきています!」と、ガイドの須田さんが、生徒たちに説明をした。
おいおい、それじゃあ私たちは、「原始人の生きた教材」ではないか。

原始人の生きた教材?我が視察団
次がフランス語の教室。次が、美術の教室と次々に案内してくれる。
黒人もかなりの人数いる。一クラスは最大26人で(最小は22人)、身障者も一緒だ。子供たちが障害を持った少年の乗った車椅子を押している光景も見られた。
とにかくどこからでもすぐに集まってくる。サインを求めてくるので、名前を書いてやると、次から次へとさらに集まってくる。こんなにサインを求められたのは初めてで気分が良い。なんていって入間に、時間がきてわずかの滞在であったがポルトガルの学校の雰囲気を感じ取ることができた。
私たちは、そのあとケルシュ宮殿、世界文化遺産の町シントラ、そしてヨーロッパ、ユーラシア大陸の最西端の岬、ロカ岬を訪れた。
証明書をもらったが、「地尽きて、海始まるところ」のごとく、ここの岬の大地に立って、はるかロマンと希望を抱いて世界に飛翼していった、大航海時代のポルトガルの人たちと我が視察団の意気込みを重ね合わせながら、それぞれ決意を新たにした。
これでポルトガルが終わり明日はパリだ。